数カ月ぶりに習志野の叔母のところに行って来ました。疲れました。

暫く振り、恐らく数ヶ月ぶりになるであろう習志野の叔母のところへ9日日曜日から12日水曜日まで行けることになり、今は買い物に同行して帰って来たところです。

 

叔母のペースに合わせると非常に疲れるのだが、万歩計によると2600歩だったと喜んでいる。高根木戸駅という京成線の街で津田沼駅松戸駅駅の間であるが、決して賑やかとは言えない。しかし駅前は立派なマンション(ビルといえばマンションくらい)、住宅街はモダンな住宅が立ち並び駐車場には高級車が。勿論数台、軽自動車も家族のためにある。

 

しかし駅前にはジャスコという大型スーパーがあるが、商店街は閑散としている。それも私が通うようになってからでもシャッターが閉まっている店舗は多くなり、「テナント募集」の張り紙が多く貼られているのが目立つ。

 

何かそのアンバランスが奇妙に映る。単純に解釈すると住宅ローンを抱えて家族で飲食する様なゆとりがないのか、新興住宅地というのはこんな姿なのであろうか。実に異様にすら思える。

何しろコンビニすらない。自動販売機が実に少ない。それに飲食店、人口に割にはファミレスすらない、というよりも出来ても直ぐに閉店してしまう。客が入らないらしい。

地元には金を落とさないらしい。

 

そういえば若い人の姿も少ない。年寄りが多い。共稼ぎが多いのか。子供の遊ぶ姿が全くない。

 

でも!とても素敵でモダンな住宅が沢山立っているんですよ。

 

私の実家は都内でも門前町で自然が豊かであるが、古い街並みが落ち着いた雰囲気がたっぷりと味わいがある。公園では親子連れ、保育園の園児が大勢遊戯をしている。

休日には散歩する人、古い町なので史跡廻りのお年寄りの集団(私と同年代の男女)とても活気が溢れている。

 

この習志野の新興住宅街はカラフルな街並みも何故か、どう譬えればいいのか?スーッと乾いた砂漠の風が吹き抜けると言った人の温もりが欠けているのを、来る度に心が乾いた気分になる。それが一時は素敵な街並みに憧れて住みたい気分のなったこともあるが整然としているよりも大小や凸凹な家が新旧おり混ざった街が人心地を感じる。

 

叔母のところから帰ってくると忙しい!早速荷物を解き洗濯物など仕分けをし、貴重品などチェックしながら片付ける。

 

冬物を含め洗濯物の山、大物など洗っては干し、片付けなど狭い部屋を行ったり来たり身体を家具などのぶつけながら、イライラもするが季節の変わり目の行事である。

 

体調不良で料理の意欲が大幅に欠けたが90歳近い叔母の丁寧に料理の取り組む姿勢に刺戟され洗濯、片付けをしながら大根の煮物(胡麻油入り)と筍(たけのこ)と鶏もも肉いんげん、竹輪の煮物をしました(冷蔵庫に残ったモノを利用)

 

来週16日日曜日からも又叔母のところに行きます。今回私がいたので大事に至りませんでしたがベットから落ちた(座り方が悪く滑った?)でも起き上がることが出来す。そのまま誰か助けが来るのを待つか電話まで這いずって行くかそんな状態でした。

 

二度目からは引き継ぎと不用品の片付けが始まります。