家で食事の楽しさを知る。「氣(気)の流れ」を改めて考える機会になる。

最近は困ったものです。

人付き合いを避けている訳でもなく。以前のように夕方になると飲食に出かけることが全くなくなった。せいぜいラウンドレッスンから帰ってからゴンジャにプロや同伴者とゴルフ談議が楽しみに食事をするくらいが今は最高の楽しみである。

 

今考えれば大森では何も得るものが無かった。そこで知った友人も得るものがなく。唯一、一家族Y家との家族的な付き合い位であった。

 

年賀状の束が積まれてくると、気が急ぐあまり、筆まで焦る。そんな経験がこの時期ならではである。

 

1日元旦に年賀状が届いた中に大森のE店のマスターから住所変更の案内も兼ねて頂いた。

考えるに私のよう者でも印象に残り、こうして賀状を頂けるというのは大森での得るものにE店は大きく加わるのであろう。

息子さんの時代になり、まだ私が元気であれば何処にいるかは分かりませんが再び伺いたいとは考えている。マスターがご健在で現場にいらっしゃればこの上ない喜びでしょうが。

 

暖簾(のれん)をデザインしたり週4回通った店は思い出は消えるものではない。

 

その唯一Y家家族との関係は暦は毎月送り、今回も右足の痛みを理由に子供にお年玉が遅れることを告げると「骨盤職人」という健康器具を送ってくれた。

 

そのY家は奥さんであるMチャンが可愛くて仕方がない。娘のように抱きしめたいくらいである。その邪魔な亭主が実に今や弟子二人よりも数段上と言っている。

 

今やその活躍もその発言も一番弟子と言っても良いくらいである。

その彼が「氣の流れ」という発言をした。お気づきですか?「氣」ですが、「気」もあるので合氣道などは「氣」と使っています。

 

その気の流れですが、「気」とは(気)を使う言葉として、元氣(気)、病氣(気)、氣(気)持ちなどがあります。これらの表現にあるように「(気) 」はエネルギーを意味しています。

漫画のドラゴンボールでも、戦闘力(身体の持つパワー) のことを悟空たちは「 (気) 」と表現してますよね。ここからもわかるように、エネルギーそのものを意味しています。

「 氣 」と「 気 」の違いは米とメです。

「 米 」は末広がりで八方に広がることを意味しています。エネルギーのあるべき姿は全身から放出されること。そう考えると、本来のエネルギーとしてあるべき字が「 氣 」なのです。

 「 気 」の場合ですと、エネルギーをメ(しめる)となり、エネルギーが押さえ込まれているような感覚となります。

米を使っている理由は、米というのは、わたしたち日本人にとってはエネルギーの源です。

今でこそ、食卓には主食として、パンや麺などいろいろ並ぶ食文化となっています。しかし、海外旅行から帰ってきて、おにぎりを一口。その安心感ときたら、それはもうたまらないですよね?笑

米を食べると元氣になる。このことからもエネルギーを意味する「」の中に「 米 」という字があることは必然であり、わたしたち日本人にとっては当然なことのです。

であれば、「 気 」ではなく「  」を使うのが本来の力を発揮できるのではないでしょうか。なぜなら、文字は無意識にわたしたちに大きな影響を与えているからです。

日本には、言霊(ことだま) というものがあります。言葉には魂や氣持ちが宿っているという考え方です。

もちろん、「  」という漢字一字でも言霊があります。

最近はストレッチ、スクワップに加わるのは鏡の前でチェック!左右の骨盤の高さに違いがないか調べることを細胞集団とのコンタクトで会得した。

チェックで左右片寄りがないか調べる。右寄りの場合、だらりと下げて右腕と身体に空いている。左寄りの場合は左が。

それを例えば右寄りを直すストレッチは左腕の骨盤に手をあて、足を肩幅程度に開いて立つ。骨盤の動きを感じながら右側へ突き出す。5秒~10秒程度経ったら元へ戻す。

それを繰り返し両手が身体に添って空きが亡くなって来た。それにともない右足の痛みも除去に緩和して来た。

押して又今月は習志野の叔母のところに向かう。一泊で3回という1月になりそうである。