継続できる人はそれだけで才能があると断言しても良い。

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<相変わらず、お弁当が味が薄いのでしっかりしたマーボ豆腐を作りました>

 

総裁選挙が終わり、組閣も本日速報があった。顔ぶれは兎も角も在庫一掃セールと上手いことを言っていたメディアがあった。

 

でも竹下派、石破派からの起用はこの件に関しては相談者との守秘義務があるので避ける。

 

そろそろ参院選挙が近くなると忙しくなる。私の相談は親しくなった議員はより深く、その他紹介により占うのは殆どは選挙事務所の方位である。

 

関わった(相談を受けた)議員は殆ど当選している(議員年数が多いベテランは多いが、その都度、新人は一人くらいはある)

 

今朝は仕事で徹宵(テッショウ。夜通し)の仕事があり、朝食前に開店を待ってスーパーに買い物をする。備忘録(メモ)の買い物予定を書いているが当然のことながら予定より多くなる。

 

それが一生懸命仕事をしたので「私へのご褒美」である。スーパーで握り寿司のパックですが、一応お寿司なので豪華な気分にはなる。自分に「お疲れ様!」という訳である。

 

「お疲れ様」とは71歳になると同年代と比べても遥かに元気なのだが、疲れ方が、というよりも疲れが残る。幸いネットで「股関節ストレッチ」というのを自分なりの工夫をした実践しリセットしている。

 

この股関節ストレッチは当初はゴルフ(レッスンを含む)前の柔軟体操というものだったが、「継続は力なり」という言葉がある。何かを継続したことでひとつの成果を出して成功体験をつかんだ人は、この言葉の意味を実感する。

 

話しは逸れるが、ゴルフレッスンもそうであるが、このストレッチも最近効果を実感している。

ますゴルフですが、レッスンは毎回Ipadでビデオ撮り、28年前に何とこんなスイングをしていたのかと反省。後はラウンド経験を積むだけでそれは今思案中。いろいろな事を試みたが、今やっとプロと相談の上固める段階に入った。

 

股関節ストレッチも両脚を開いて前屈をするが最初は身体が硬く、ほんの20センチ程度、今やもう直ぐに床に10センチくらいで床に着いてしまうくらいになりました。

 

「継続派力なり」この言葉を妄信して、ただただ「継続」することを目的にしてしまう人がいる。「継続し続けているのだから、焦らなくても結果は出る!諦めずに頑張ろう!」と考える人だ。こうした人はかなりの確率で意味を誤解している。

 

「継続は力なり」で評価されているのは「継続」ではない。継続したことで出た「結果」である。これを明確に認識していない人は多いのではないだろうか。自分はこのタイプにならないように(周りに実に多い)している。

 

この勘違いは若いうちに「よくやった!継続は力なりだね!」と評価された人に起こちだ。なぜなら若い時は、成功の先にある大きなポテンシャルまでを含めて評価されるため、たとえ小さな結果であっても高く評価されやすい。

 

逆に年齢を重ねると、純粋に「結果」のみで評価される。そうなった時に自分の価値観の中で「継続は力なり」の間違った認識が根強く残っていると、ただただ継続することしか考えず、結果を出すためにどう工夫すべきか?という部分に思考が働かないので、とても苦労する。これは「継続は力なり」を理由に、思考停止している状態と言える。

 

もちろん、何か結果を出すためには継続することは重要だし、継続なくして結果は出ないものだとも思う。そして何より、継続できる人はそれだけで才能があると断言しても良い。

 

しかしあくまでも、継続は結果に対しては必要条件であり、十分条件ではない。しばらく結果が出ない期間が続いていたとしたら「継続は力なり」の一歩先に思考が働いているか?を見直すと良いのではないだろうか。

 

今考えるに、ゴルもも28年~30年以上、離婚をしてからその関係を全てに近く絶ち、改めての行動を起こすとその時間の経緯というもので失った者(物)の大きさを実感することごろです。

 

今はゴルフへ行くのも車を20年近く絶ち、今までは全くその気もなかったが、ゴルフは絶対に必要なのである。今更とは思うが生活の前向きに考え変化が訪れると誠に不自由極まりなく、淋しささえ感じるこの頃である。

 

変化とは、するにはそれに伴う道具(手段)も必要である。