手段の目的化。

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<コンニャクのオイスターソース炒め>簡単な割には最高!

コンニャクを下茹でして、コンニャクをフライパンでから炒めします。

オイスターソースを入れ、絡めます(一味唐辛子が合うと思います)

ただしオイスターソースはちょっと多めの方がしっかりとした味になります。好みですが。これに炒り胡麻を振りかけます。]

ちょっとヤミツキになると思います。何しろ手間がかからない割には上手過ぎる。

 

今、厄介な問題の突き当たっています。

 

それは私の全く経験のない建築関係の特殊技術を持った会社の再建です。それが私のO社での経験をご存じの方の紹介です。その方の紹介で私が数軒の会社再建に関わりました。

 

大袈裟な再建などと言っていますが、経験をアドバイスしただけでお陰さまで関わった会社は今や優良企業です。私はメーカー志向で自家製品を培った技術で開発するという志向で今まで取り組んで成功しています。

 

今回その会社は建築関係(仮にK社とします)で特殊技術をもって今日に至っていますが、諸問題(人、マンネリで業績不振)で改革は一生懸命でした。取り入れているのはQCと言われる品質管理する方法でした。

 

実は私はリコーに在籍していたことがあり、リコーではQC〖quality control〗→ 品質管理が、毎度毎度チェックしていく内に、「チェックをする」こと自体が目的になってしまうんです。

「チェックする」ために書類を回しているといいますか。あるいは誤字脱字を気にして、文字面だけを見て中味を全く振り返っていなかったり…

 

これ、何の為にチェックしているのかを忘れてますよね。

 

「ミスをしない」→「チェックをする」ではありますが、恐らくはその前に例えば「お客様の満足度を高める」といったもっと大きな目的があるはずです。

 

で、初めて「お客の満足度を高める」→「ミスをしない」→「チェックをする」という図式が生まれるわけです。

 

ミスをしないってのは、いわば「目標」です。

そう考えると、その目標を達成するには「チェック」という「手段」に固執する必要は無いと。とすると、「システムで自動化する」とか「エクセルで自動計算する」とか「そもそもその書類を無くす」

あるいは「書類のフォーマットを変える」とかそうした「仕組み」を変えた方が圧倒的に「ミスをしない」という目標には効果が大きいはずなんです。

 

つまり、「チェックをする」という手段が目的化してしまうことで、満足し「ミスを根絶」といった根本的な解決にはつながっていないわけなんです。

 

ある意味で目的の為には手段を選ばないことが重要になってくるのではないかと思います。

 

活動の最先端で役員の前で業績発表をしたことがあるくらいの、ひょんなことから営業に回され優秀(唯一の自慢)なトップセールスでした。

 

それで販売面では、目標を設定し、その実践方式を編み出し、プラン・ドゥ・チェック方式を実践する「方針管理」と、日常の営業活動でムリ・ムダ・ムラを排除する改善運動としてのサークル活動でした。

 

ただその経験が今回のK社は初回、数回の会議での感想は「手段の目的化」と気が付きました。適切な言葉かどうか、するとそうした考え方があるんですね。それを引用しました。(的を射た表現ですね)

 

「手段の目的化」ということを考えると、本来他の成果を得るための手段である行動について、その行動をとること自体が目的となってしまうことを指します。 個人としても、組織としても日々起こりうる「手段の目的化」については。 また、は個人単位で起こるだけでなく、事業や会社単位でも起こります。

 

仕事の中でも「手段の目的化」がしばしば起こります。たとえば、データや情報収集時に、正しい情報を得ることことにのみ意識が集中し、いつの間にか情報収集事態が目的となってしまい、結局、そのデータや情報から何を分析し、何を主張したかったのかわからなくなってしまうことが起きてしまいます。作業自体に没頭してしまう経験は、多くの人にあるはずです。

 

経営効率を上げる・収益力を上げることを目的としてコスト削減をスタートしたはずなの「手段」と「目的」混同はやめよう。

具体的に言えば、手段が目的化してしまうことの怖さをしみじみリコー時代のQCを学んだことが私の関わった会社で活き、そこで「手段」と「目的」混同を目の当たりにして、今の再建には必ずや起こり得る、起こりがちな事として活かされています。

 

トヨタ自動車の有名な思考法である『「なぜ?」を5回繰り返せ』というのも「手段の目的化」を防止する効果的な方法の一つといえるでしょう。

 

とかく日本人は、「なぜやるか」というとこより「どうやるか」に重きを置きがちですよね。

まあそれが悪いというわけではないんです。座禅なんてもんはその究極ですしね。「ただ座る」という手段に目的を置いているという。

 

が、やはり何かを達成しようという場面においては「手段」を「目的」にするのは避けるべきです。

 

リコー時代のQCはつまり「ミスを無くす」という目的のために「チェック」という手段を選んだと。

 

ここまではいいんです。

 

が、毎度毎度チェックしていく内に、「チェックをする」こと自体が目的になってしまうんです。「チェックする」ために書類を回しているといいますか。あるいは誤字脱字を気にして、文字面だけを見て中味を全く振り返っていなかったり…

 

これ、何の為にチェックしているのかを忘れてますよね。

 

ミスをしないってのは、いわば「目標」です。

 

 

そう考えると、その目標を達成するには「チェック」という「手段」に固執する必要は無いと。とすると、「システムで自動化する」とか「エクセルで自動計算する」とか「そもそもその書類を無くす」

あるいは「書類のフォーマットを変える」とかそうした「仕組み」を変えた方が圧倒的に「ミスをしない」という目標には効果が大きいはずなんです。

 

ある意味で目的の為には手段を選ばないことが重要になってくるのではないかと思います。