新たな出会いがあるとのお言葉で期待しましたが。

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<海老チリです。老人弁当では味が物足りないのでしっかりした味の物を求めます。でも簡単ですよ>

 

一線を退いたという話しが伝わり、有難いことにお誘いがある。

関わっていたアパレル関係の数社も関係は希薄になっているが、それでも月に否、数カ月に一度求められれば会議などに顔を出すこともある。

 

私の世界での話ですが、もう一花(ひとはな)咲かせると言われているが、実感が今のところは全くその兆しはない。

 

自身を占い、又瞑想中のアドバイスでは、まずは出会いがあるようですが、色々な場所、機会に現われる女性をそういった目で見てしまう。考えてみれば出会いとは「人」とは限らないし、「女性」とも限らない。何と自分の都合のよいように出会いに夢を描いている。

 

でもね「男は夢があるうちが花だ」「その時期だけが、男であるらしい。それ以後は、ただの飯食う道具」という言葉が何かの本にあったが、思わずうーん!唸ってしまう。

 

ただその不思議は、過去の女性のイメージが私の意識を支配している。「そんなことはないだろう!」と思いつつも可能性はある。でも?ある場所で行く度か出会いがあるのですが、声かけは?、歳を取るといろいろ考えちゃうんです。

 

ところで確かにこれから何かをするとなれば覚悟と勇気がいる。この歳では臆病になっていることは事実である。

 

こんな言葉が瞑想中に投げかけられた「臆病こそ勇気に勝るものである。あらゆる現象に注意を働かせ、決して一か八かの勝負などはするな」ということであろう。

 

というアドバイスが投げかけられた。そうですよね71歳の挑戦となるわけですから。

今更「志し」というものがあるが、妄執(迷いによる執着)と言ってもいい。幾つになってもこの妄執の味が人生の味です。この清冽(水が清く澄んで冷たいこと)な味は分からないでしょうね。

 

人間一生のうち、飛躍を遂げようと思えば生涯一度だけ、渾身の知恵を絞って悪事こそ又よこしま(不道徳)をせねばならぬ。最期と思えば。それが今でもあり、数年後は意外な展開があるらしいです。

 

「人生は一人芝居というが、芝居と違う点が、大きくある。芝居の役者の場合は、舞台は他人が作ってくれる。生の人生は、自分で、自分の柄に適(かな)う舞台をコツコツ作って、その上で芝居をするのだ。他人が舞台を作ってはくれはしない」

 

一時期は弱音を吐きました。今は違います「石を食(はん)でも、泥水(どろみず)を啜(すす)っても」という意識に変わった。言いたいことを言われて悔しいことが一杯ありますから(本音を言ってしまいました)お喋りなようで肝心な事を言わない。言い訳が嫌なんです。でも悔しくて悔しくて眠れぬ夜があります。

 

<負けるな>

 

老いた日の貧しさは屈辱に耐え、決して私は卑屈にならない。

 

老いた日の不遇は私にいつまでも志しを持たせ耐える力を与えた。

 

老いた日のひもじさは残された未来へのバネ。

 

負けるな。

 

今度、同窓会があるのですが30人ばかりですが、意外と私の同年代は優秀で社会的にも地位のある人ばかりで贅沢なんです。それで大森のE店を頼まれましたが、今は疎遠になっているので断りました。

 

それで探すことになり、それはそれは大変でした。和食でしょう。居酒屋チェーン店では絶対に満足をしないので、高かったのですが伊勢海老料理で有名店にしました。

 

もう今は出かけるのは仕事以外はゴルフか友人との会食が月に一二度くらいになりました。