二重否定は強い肯定⇔全部否定の否定。

叔母のところから帰る。

今回はまさに凶方位(私はミステリーという)それを実感して帰って来た。いつもなら自宅から真南の知的障害者のお婆さんのお世話をしてから行くことで叔母のところが凶方位北東を避けることが出来た。

 

それが今回はストレートに北東に行ったことで疲れ切って帰って来た。何か終わりにしたいという気分もあった。でも先祖と叔母のご主人にやり遂げることを誓ったので、この運命を素直に受け止めている。

 

私の役割なのでしょう。それでもファッションは意識しています。でないとつまらないですから。一応コーディネイトはしっかりと決めています。

リュックを背負うようになったのは都営地下鉄がとても深いので階段、エレベーターが両手が空いていないと危険なのです。

 

旅行用の鞄(今のカバンがとても事故が多い)では危険が多いので登山用のリュックにしました。電車の動きに振られるくらい重い荷物を背負っているのですが、叔母から頼まれたもの、叔母の行動に添うようにすると衣服が相当用意がいる。

 

見栄っ張りと言うのか学歴、教養、何しろ知識が豊富、並大抵では太刀打ちできない。

でも私は負けていません。叔母をギャフンと言わせます。

 

まず他人の話をまともに聞かない。直ぐに態度に出る。気に食わないと顔を逸らす。

そして「でもね!」と必ず反論する。ですから「でもね婆さん!」と命名しました。

 

私もへそ曲がりですから、理屈には理屈を、絶対にディベートでは負けない。

何で有利に展開できるかと言うと、いつも言うのですが叔母は子供を生んだことがない。

それは背負うべき人生のお荷物を背負った行き方を知らない。経験がないので幼い、青い。

 

何処か今、流行りの忖度、相手の気持ちを推し量るという心遣いに欠ける。何しろ「自分は最高!」という自負がある。自分の苦労した経験をやたらに言うが本当に苦労した人は経験として身に備わり言わない。語らない。

 

散歩などしていても、他人の批判ばかりしている。よくもこれでけ他人の批判が出来るものだと思う。

かといってお隣住むUさんは教養なない、S宗教、17年音信不通だった次男(長男は亡くなった)が突然戻っている。それには母親として盲目に尽くす。趣味はパチンコでそれをバカにする。それを軽蔑する。

でもお隣ということで過去(世話になっている)も又今後も何で世話になるか分からない。そんなことを言っても何だかんだと承知で利用され利用している。そのことで文句も言う。

 

88歳になるとそんな境地になるんでしょうか。ちょっとずるい気がしますが、私には今のところ出来ません。

 

何回か叔母のところに行くようになって、運命を感じますが、改めて行く度に新たな経験をさせてくれたのはどういった意味合いがあるのでしょうか。

 

叔母との会話を振り返ると、気がついたことがあります。

それは頻繁に叔母から放たれる言葉で気がついたことなのです。

「隣のUさんは卑しいがいざとなると不必要な人ではない」=必要

「好きじゃなくはない」=好き

「満足なんか出来るわけがない」=満足

「彼はお酒を飲まない筈がない」=飲める

「走りださずにはにはいられない」=走る

「この小説は涙なしには読めない」=涙ながらに読む

 

この言葉に近いものを叔母は多く発する。興奮して言い争っている時は分からなかったのですが、家に帰り、興奮した自分を反省していると又冷静に振り返ると矛盾を感じるようになった。

 

叔母の他人を批判したりしながらも「二重否定していますが、それは強い肯定」であることに気が付きました。

 

私でも身近に、いつも使っている言葉で。

「この提案については、、譲歩できないこともない」

「この環境では、いい文章が書けないとも限らない」

「あなたのおっしゃることは分からないでもない」

などと二重否定には肯定の意味を表す。

 

ほら、「全然大丈夫」は文法的にはおかしい、とか良く言われますよね。思うのですが若者の日本語は狂っているって?

 

二重否定を用いたは場合は意味が曖昧になったり回りくどい表現になったりしてしまうというリスクがあるため、使用する場面によっては控えた方が良いことがあると思います。

 

12日から15日までに多くを学びました。

 

ストレスで又ゴルフレッスンに行って来ました。今度、好調とか不調言う表現は言わないようにするつもりです。70パーセントの確率で理想通りのスイングが出来ました。

確率はだんだんと高くなりました。プロがコースが楽しみですねと言ってくれました。