こんな格好で3時間習志野の叔母のところへ行っています。リュックが重いんです。

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<こんな格好で叔母のところへ行きます。地下鉄の階段の上り下りでとても都営地下鉄は深いんです。それで両手を空けるためのリュックにしました。うるさい叔母なのでいろいろ想定した服や諸々持参すると荷物が多くなるんです>帰って来た時撮ったので疲れ切った顔です。

叔母の要請でお盆の墓参りに同行することになった。
それで12日日曜日に出発することにしているが、当日酷暑の中向かうことは覚悟はしていたが、就寝中雨音が聞こえたように気がした。

 

自転車が濡れるので屋根の下に置き直すことで外に様子を見る。雨が降った様子があった。

 

翌朝、叔母の所へ向かう準備と朝食、服薬、仏壇に供物とお茶を捧げ、いつもの時間の通りに動いているのだが「いや!待てよ、雨で気温が下がっているうちに出発をしようか」とフッと脳裏に浮かぶ。

 

早速、家での体の動きが活発にスピーディになり、早々に出発することに変更した。


正解でした。自転車で大きなリュックを担ぎ、その前に大家さんに留守中のことをお願いをして西馬込駅に友人宅に自転車を置かせてもらう。

早朝でもあり、雨のお陰でもあり外気温は連日の酷暑など忘れる。

 

普段から電車に乗る習慣が身についていないので、行くたびに駅での切符の購入に手間取り発券機の前で周りを気にしながらも手間取る。

 

流石にお盆休み日曜日でもあるが、いつもよりは俄然人が少ない。私は正月であろうが、GWだろうが、お盆休みだろうがそうした生活習慣がない。家族があった時以来そうしたものは忘れている。

 

こうした周りの変化でそういった季節感みたいなものを知るのである。

 

私の考えは叔母の墓参りには付き添いましたが、墓参りは一切致しません。
その理由は墓は「博物館」のようなのと思っています。遺骨がそこにあるから魂までがそこに存在するというものではありません。

 

本来の宗教というのは、実にスッキリしている。
「人が死ねば空に帰する。教祖である釈迦は墓がない。無論その十大弟子にも墓がなく、おしなべて墓という思想すらなく、墓そのものが非仏教的なのである。
仏教徒というのは世間でいう「霊魂」という思想もなく、その霊魂をまつる廟も持たず(釈迦などはない)、まして「霊魂」の崇りを怖れたり、「霊魂」の力を利用(?)したりすることなどといった思想もない。
幽霊というもの、本来の仏教には存在しない。「霊魂も怨霊も幽霊も、仏教の教義として存在しない」と言いたいところだが、残念ながら仏教には一大体系としての教義がないのである。


キリスト教イスラム教のように、預言者が言葉をもって説いた宗教(啓示宗教)なら教義が存在する。

 

私の実家は何しろ宗教的な行事やその他の日本の行事はやることに追われて、何か心がない。それで安心しているのでしょうね。私はそれに対し物凄く抵抗を感じていました。でも実家は全てではないですが、多くの家も財産も失いました。祈りとは何だったのでしょうか。

 

先祖 の墓は心の拠り所としては大きな役割があると思います。それはそれ。
私が大切にしていることは、祈る事は大切です。先祖に対して感謝を述べ、家族の一員として、食事のたびに少しでもオカズ、ご飯、お茶など家族と同じ様なものを捧げる。

 

祈りの対象は位牌でも写真でもいい、家族同然に扱う。
出かける時「行ってきます」帰ってくると「ただいま」そして手を合わせ、1日の出来事の報告をする。なんでもいいんです。

 

家族同然のように自然に接する。この世に肉体が滅んで、魂はいつも身近に家族を見守っています。

 

そんな時家族の不和、財産争いなどをして、それを見ているご先祖が天上や地上を行き来し、家族のそうした争いなどを見ていると、執着で地縛霊や何方かに憑依霊として地上に残り、その家族が不幸になって行くのです。

 

ですから、今回も墓参りをしていますと、その時(お盆)だけやって来て線香や花、墓掃除をしても私は心を感じられません。

 

それよりも毎日家族同然に接し、自然な振る舞いが大切なのだと思います。

私は事毎に(何か事が起きるたびに。いつでも、折に触れて)こう祈っています。

 

「川嶋家、先祖代々の諸霊よ、義久お爺ちゃん、ヤスばあば(祖母)、邦江母さん、和子母さん日々の御守りとお導きを心から感謝致しております。
河瀬盛重様、小泉桂史様(二人の叔母の御主人)どうぞ通子、房子叔母を守って下さい。通子叔母は私の最後の役割として看取りたいと思っています。どうぞご協力とアドバイスをお願い致します。
息子、娘(名をあげています)の家族の健康と、健やかに過ごせることをお願い申しあげます」と。

 

それから数十名の相談者、全員は無理。でその家族の名をあげて祈ります。ですから長いんです。疲れます。
でも一人一人の御姿が浮かぶと生活の様子も映像に浮かびますので喜びに変わります。