心さえあれば。

「心さえあれば」などとよく言うが、それも相手に明確に伝えるためには、やはり物を添えるのが一番手っとり早い。という言葉があった。(何かの本でメモしていた言葉を引用しています)

 

こんな事を言うと、即物的だとか、下心が丸見えだとか思うかもしれないが、それは違う。「物より心」でもなければ「心より物」でもなく「物と心」が大切なのだ。

 

やはり、自分の心を物で表現するというのは、非常に重要な事だと思う。

 

私が人に自家製パンを差し上げるのもそういったことでした。

大抵の人はパンを差し上げると感激してくれる。その喜び方が日本人にしては大きなゼスチャーが伴う。流石が自家製パンの力ですね。

 

そのきっかけは近所から頂き物が多いのでそのお礼が発端であった。それと大家さんへ、週に一度パンを届ける。

 

いまだにこのアパートから出ることが出来ないのはこの大家さんの存在である。実に優しいし、頂き物も多い。面倒みが良い(新聞がいつまでも残っていると飛んでくる)

 

それと住い周りの自然環境が良い。佐伯山と言って豊かな樹木と大量のカラスが住んでいる。

朝、夢の島へ餌を求めて空が真っ暗になるくらい飛んでいく。又戻ってくるのも空が真っ黒になるくらいである。

 

それに池上本門寺という自然が豊富なところを控え、門前町、独特な落ち着きもあり、産まれ育ったところでもあるので、やはり落ち着くのでしょうね。

 

でも習志野の叔母のことを考えると此処を去る時がいつかはあるのでしょうが。

 

パンがお遣い物として、効果が抜群です。

自分の心を的確に相手の伝えることが出来る。そうすれば、人間的な関係を一層強めることが出来るのだ。

 

確かに、お世話になって感謝はしているが、お礼の気持ちを品物を託す事が出来ない。しかし、気持ちや心は、相手には見えないという致命的な欠陥を持っている。幾ら言葉で感謝していると言っても、相手には伝わらないこともあるのだ。

 

品物で高価なものでなくとも、自分が思う最高の贈り物をすればいいのだ。そのに心があれば、気持ちは必ず相手に伝わる。ここでこそ、心がものを言うのだ。品物でなくても、手紙でも良いのだ。手紙を書くという労力については、誰も体験があるからだ。

 

そういえば私は今回の大阪の震災へのお見舞いの電話の後、手紙を改めて差し上げた。要するに、心は必ず形に表すべきもの、しかし形には決まりがないということだ。

 

「長者の万灯より貧者の一灯」=(大事なのは量や金額ではなく、誠意の有無だという教え)という言葉がある。これは、長者の虚栄心からくる贈り物より、貧者の真心のこもった僅かな贈り物のほうが勝っているという意味である。

 

厳しいが、実社会では、見えないものはあまり信用しない。だから、気持ちをモノで表現する技を知っておくことだ。

 

私のとってはパンを贈ることはたかが知れている。毎週大家さんに、御近所のお年寄りの家にゴミの収集日にゴミ箱を家の前に届ける(そのお礼で頂き物が多い)それと占いの相談者からの盆暮れのお礼。絵画教室の生徒の親から、政治家、芸能人などからのものが多い。変わったところではヤクザさん、右翼団体宗教法人など闇の世界の方からとんでもない物が届くことがある。

 

それに対してのお礼が、十分には出来ない。気持ちが行きわたらないが理解してくれていると思っている。ただ恩の受けたら、なるべく礼状を書く、時節の挨拶は欠かさない。こういうマメさは身につけておくようにしているが行きとどかない。