叔母のところへ行くのだがそのたびに心穏やかでなくなる。

毎朝仏壇に向かって祈りを捧げているが、先祖は素封家といわれる旧家であった故に祈りも複雑な思いである。

それにより相続を前提に大きく立派な家に住んでいた。(弟を川嶋家の跡継ぎ、私には家を建てて恩を売り大人しくさせるという母の深謀があったのである)

 

当然親が大きな借金をして建ててくれた家だが、そこには育ての母親の深謀遠慮があることに気付く(銀行が教えてくれた)と、借金の保証人であった私は借金の更新時それを拒否、親を裏切った。

 

私らしいのだが、黙ってずるく住んでいればよかったのだが、子供が独立するとそうした自分が嫌で嫌で保証人の更新を拒否したのである。(他人は名よりも実を取ったら!と言われた。そうではない!許せなかった)

 

これには両親は慌てた。川嶋家が世間に笑われ銀行にも信用を失う。私は川嶋という家柄の看板をも捨てることになるのだから、そこまでするとは思っていなかったのであろう。

 

子供が独立し、たった一人になるという初めて大きな孤独感と緊張感が襲って来た。

 

それからが両親とは疎遠状態で育ての母は亡くなり、父は100歳で健在です。

それも腹違いの妹が結婚もしないで世話をしている。申しわけないとは全く思っていない。

 

その辺りの事情を話すと複雑で話としては面白くない。暗すぎる。

 

今は川嶋の看板を背負って生きてはいないし、世間からは落ちぶれた家系と思われているので(税金対策なのだが)、心境も親は「児孫のために美田を買わず」とでも世間には言っている。

 

それが良かったような気もする。お陰でとても強くなれた。子育てもとっくに終われましたから今が一番幸せな孤独感であろう。気楽さでもある。

 

「常識という壁を破らなければ、だれも見たこともない世界に行き着く事は出来ない」常識は当たり前と捉えると資産家の長男としていればいられていたこと。それを振り切って見たこともない世界に行き着いたともいえる。

 

それが川嶋の亡霊(川嶋の看板にも拘って生きている)を背負って生きている妹と弟が実に世間が狭い。気がつかないからそれでいいのだが。養子の父も母の考えに添わなければ立場を保てないと思ったのであろう。気の毒に今の姿を見ると人の悪想念は必ず結果が出てくる。

 

育ての母の葬儀には出ていない。親戚から長男である私が出席しないことが噂になっていた。それを親戚で私を認めてくれている方々からの言葉に思わず「微苦笑」微笑とも苦笑ともつかない笑いが出てしまった。

 

一種皮肉な気持もあって、葬儀の様子を想像しながら又湛えながら、微苦笑を誘われる。

それには私が今の川嶋家と「存在の耐えられない軽さ」を感じる光景があるのです。

 

ずっと胸につかえていた耐えがい思いがありましたが、上述の言葉は思いのたった一部に過ぎません。全部話しても決してすっきりするものではありませんから。

 

話しをするきっかけは習志野の叔母のところへ行くようになって、私の知らない川嶋の話しを聞いたことによる怒りです。実家や親に対する気持は情けないですが、怒りが勝ってしまいました。

 

習志野の叔母のところで必ず出る言葉は「あなたは幸せだった?」とよく尋ねられる。

普通の方が経験できないことを多く体験したことは「幸せだったのかな?」と思うと答えている。

特に女性は誤解を生むこともあるが美しく、頭の良い女性と、入籍は二人でしたが、その他の方との出会いも男として最高の出会いでした。

 

心の何処かが大きく欠落した私にとっては母性を求める。それを受け入れてく手た女性だったような気がします。勝手になくたった母が出会いのきっかけを作ってくれたのだと思っています。

 

そして自分の才能を活かすことが出来たこと。それは大きいですね。