明日から習志野の叔母のところに行きます。叔母、介護に関わることそれで救われているのかも。

私に思った通りになったことが、それは占いとは違い介護関係のことです。

 

実はこの世界に関しては「占い」を適応しません。大きな宇宙大の力成せる事。というのはデザインの仕事が少なくなったことで70歳にしては不安感を抱きました。

 

その時に声かけがあったのは(救いは)は介護です。

仕事を失うことほど恐ろしく、不安感はありません。極端だったのが助長したでしょうね。

 

それが週一回、グループホームに夜勤をしています。やっていて良かったのは、こんなに人生が凝縮した世界は知るからです。

 

早速の驚きは私より一歳年下の男性をお世話したことです。寝たきりの方、当然2時間~3時間置きに尿のパット交換、当然排便がありその始末、食事の時は椅子への移動、久しぶりの経験なので腰を痛めました。

 

それも有難いのは股関節ストレッチのお陰で腰の負担による腰の何ともいえないものは解消します。

 

この介護は私の濁った心を洗浄してくれます。こんなことが叔母の事も含めて私の役割かなと思っています。

 

そこで学んだことは寝たきりのMさん実は私より一歳年下で他のヘルパーさんには怒鳴るらしんですが、私は同じサウスポーで共通点から受け入れてくれています。笑いすらあり、それは創意工夫ですね。心からの愛情ですよ。 2時間ごとのパット交換、陰部を陰洗をし、そこには排便もあるのです。その処置は私は独特なマニアルにはない処置をします。それは人を大切にすることによるもので他には教えられません。

 

17時から翌朝の8時45分までで仮眠は一切できません。12時から翌4時までは認められているのですが。他にもポーブル・トイレに食事の全てを捨てる女性もいますし(トイレに食べ物を捨てるし窓から外に捨てるんですよ)、食器食べ物の上から排尿・便もします。それを始末することは人生学ぶことは多いです。

 

こうなる人は何が原因かが分かるからです。自分はそうありたくないと思えるでしょう。

介護と同時に占いでもこの人はこういう考え方、生活をしているとこうなるだろうというのは介護している人の姿を見ればわかります。

 

それでも夜勤が終わると何と言えない爽快感、達成感、ホームをから帰る時の自転車で朝風を受けながらこの気分は何ともいえないものがあります。

 

今後の人生の生きがいはそんな所にあるのかなとも思っています。

祖母と叔母に育てられ、誓ったことは最後は老人の介護に携わることになるとそういった方向性に向かうのが必然で又不思議です。

 

いまメールでアメリカの友人からの誘いがあります。それは「瞑想」単純にいえば座禅の正しいやり方を指導してほしいとの依頼で「行ってもいいかな」と迷っています。

 

瞑想、黙想、意外と正しいやり方を知らないんです。

 

こうしていると片頭痛がしてきました。それは私の考えが極端な時におこります。それは守護霊、私は指導霊という存在を認めていますが、要するに指導の一環です。

 

「何を言っているんだ!」という指導ですね。そうして反省をするんですがそれが瞑想です。

 

人生、間違いばかりで明日叔母のところに行きますが今後の方向性を話し合い相談します。祖父義久おじいちゃんに誓いましたが私の人生を考えるようになっています。