私も意外と孤独に弱いのかもしれない。

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<孤独>「孤独は山にはなく、街にある」哲学者 三木清の言葉だ。

 

今日はセロリの佃煮を調理しました。実は私はセロリが大好物なんです。

キュウリと人参、カブのぬか漬け、越前煮、残り物のサバの塩焼きで夕食を。

 

私は普段は一人遊びが上手なのだが、夜の食事だけは、誰かに居て欲しい。人間でなくとも猫や犬でも何でもいい。夜、一人で食べるのが苦手というのは、私も意外と孤独に弱いのかもしれない。

 

それにも馴れることが必要だと思い、一人で食べる癖をつけている。友人を誘いそうになる気持ちをぐっと抑えて、一人で買い物をし、音楽を聴きながら簡単に食事を済ませる時間は思いがけず快い。

 

友人、主に同級生、同窓会などの話題は「濡れ落ち葉」という、勿論男性の話であるが、

濡れ落ち葉とは定年退職後の夫のことで、仕事人間だった夫が家では邪魔な存在であることを表現した言葉である。濡れ落ち葉という比喩が出てくるまでは『粗大ゴミ』などと表現されていたが、それに比べると若干キレイな(遠まわしな)言い方なので好まれているようである。

 

定年後の夫がなぜ濡れ落ち葉なのか?これは妻が出かけようとすると「わしもついて行く」と言い、どこにでもついてくる様が払っても払ってもなかなか落ちない濡れた落ち葉に似ているからで、ある主婦がしたこの発言を評論家の樋口恵子が聞き紹介。それが広がる中で濡れ落ち葉という言葉で定着したらしい。

 

「濡れ落ち葉」などと言われて邪魔者扱いされる。そんな話題ばかりの同窓会であった。

 

今回22日から25日迄習志野の叔母のところに行って来た。とりあえずは大きな問題であった。弁護士と司法書士への振り込みに同行それが済んだことが今回の大きな目的でもあった。

 

100万円以内であればATMで済むことを叔母はJ信用金庫の創立者を父に持つので特に地方の信用金庫での扱いはたかが振り込みでも次長さんがお出ましになり、別室での手続きであった。

 

それからが買い物、電気マッサージに立ち寄り(待っている)など老舗の蕎麦屋へでご馳走してくれたが(でも実に美味しい)田舎にしては格別に美味しいのには疲れも一瞬忘れた。

 

夕食では私はお酒を飲むのだが叔母の料理はこれまた美味しい。甘口に近いが酒を飲まないからであろうそんな料理である。

 

食事中と終わると話は叔母の死後の後始末の話、葬儀、財産、家の片付け、親戚への対応等など殆ど感情的な会話になってしまう。

 

叔母の口癖「文泰が来てくれると嬉しいよ。一人でいると淋しくて嫌がらないでまた来てね(今いるのに)」である。

 

頭がよく、鋭すぎて疲れるのですが、そうは言っても私を頼る叔母に言ってやりました。

 

「淋しい」と「孤独」は違う。話し相手がいないから、淋しくて、孤独。そんな安直なものではないはずである。

淋しいとは一時の感情であり、孤独とはそれを突き抜けた、一人で生きて行く覚悟である。

淋しさは相手を生みださないか、孤独は自分を厳しく見つめることである。

淋しいといえる段階はまだ甘い。淋しさを自分で解決しようという気はなく、誰かが何とかしてくれないかと他人に頼っているからだ。

そこで自分の淋しさを埋めてくれる人を探す。家族、友人、知人、そして最近はネットでそれに応えてそうな人・・・。「極上の孤独」を引用。

 

叔母は黙っていましたが、これで済まないのが叔母です。

「前回来た時にあなたが忘れた本を読ましてもらったけど、よく勉強しているわね。その中(文芸春秋)に老人問題があったわね」とまるで受け売りの知識のように言う。

 

「そうかもしれないが、この本だよ」と示す。叔母に言いたいというよりも自分の為に読んでいるのでそれがたまたま叔母と私に生き方を示されているようで真剣に読んでいることを説明しました。

 

日本人は孤独嫌いが多く、孤独に対するイメージが良くない。

孤立、弧食、孤独死と、一人で行動する人をよく言わない。孤独死など、特に新聞や特集して世の憐れみを涙と誘う。日本では畳の上で死にたいと言う人が多く、自分の家で家族に看取られて死ぬのが理想だと思われている。

 

私はそうは思わない。他人にはわからずとも、孤独でいることに誇りを感じる人は、人として成熟しているのではないだろうか。私自身がその境地に至っているかどうかはわからぬが、そうでありたいと願っている。

 

孤独とは、思い切り自由なものだ。誰も気にする必要がなく、自由で満足感はあるものの、その時間をどう過ごすかの全責任は自分にある。誰も助けてくれる人はいない。私は身震いするような厳しさに満ちた、その瞬間が好きなのである。

 

とうとう冷蔵庫を買うことになりました。

2007年製と電気屋さんに言われて決心がつきました。水が漏れるようになったので仕方ないですね。

 

まるで今を物語っているようです。全ては「替わる。変わる。換わる」。と言う時期なんでしょう。