「生兵法は怪我のもと」

私の陰陽師としての仕事で相談者に対した時、まずは「観相」といってその人の全体を見る。ただよう雰囲気”香りなどが風(空気)に運ばれたりしてそのあたりに満ちる”そんなものを捉える。

 

諸行無常。あらゆるものは刹那(極めて短い時間。一瞬)の間にも変化を繰り返しているが。その一瞬を感じ取るのである。殆ど80パーセント以上はその人なりを理解できるものである。

 

それを誤って捉え、それが先入観となって鑑定していってしまう。これが占い、鑑定の自然に動く通る経路という動線を表している。

 

その過ちはH氏との出会いである。これは結論から言うと上述の観相の間違いと思い込みである。そのH氏からの印象は爽やかで、透き通り様であり朝風のようであった。

 

それ以来、観相という行為を普通の常識から極めて離れないようにしている。意外と思い込みが多いんです。

 

私の前妻(にも言えるのだが、なまじっか氣學の知識があり、また神仏(どこどこ神社などよく拝みに行っている)を信じ切っているのだが、それは無知、浅薄な知識だけで実に矛盾に満ちている。全て「お願い」である。先祖や神仏はまずは「感謝」から始まる。

 

日本の神社などの御神体となると?神社の神主さんのトラブルがころごろ騒がしいですね。

バブル期銀座のキャバレー、クラブ、高級鮨店、料理屋などお坊さんや神主が多かったですよ。

 

それがそういうところに熱心に手を合わせ祈っている。そんな人に限って己の生活に自家撞着(自己矛盾)、人としての常識、全く礼節を軽んじている。人も神も利用することしか考えていない。

 

私も相談者に対し見誤った経験は数件ある。現在関わりの深い相談者は皆さん魂のレベルが高い。礼節を重んじる人ばかりである。でも失敗から多くを学ぶんです。

 

口伝(くでん)など民間伝承本なども)では間違った内容は多く、神仏に対する作法など真を知らない人が何と多いことか。占いの本などが多く出回り知識だけが知識や理論先行型になりがちである。

 

私などは電車や旅行などの機内ではどんな本を読んでいるかというと、占いの関する本だと思われますが、意外と坊さんの書いた本が多いですね。友人の客室乗務員(CA、キャビンアテンダント)が機内でエグゼクティブの方はビジネス書読んでいる方は殆どいないそうです。

 

エグゼクティブは坊さんの本や禅などが好まれるのは、やはり心をリセットし、メンタルを整える必要性をそれだけ感じているからだと思います。

 

言いたいのは素人は中途半端に間違った知識を得やすいのでこうした姿勢を薦めている。「生兵法は怪我のもと」ということである。

 

私が毎月特定の方に送っている「暦」を作ろうとした方もいるんですよ。驚きです。

禊(みそぎ)をし、それから取り組む、暦にはその方それぞれにコメントを加える。

 

とてもエネルギーガいるのでかなりの奉加金を頂くことになるんです。

そうした行為というのは間違ったら怖ろしいことになる事を知らないんです。

困ったものです。

 

私は40年をかけて体得(と会得の違いもおもしろいですよ)したことですから、そう簡単には。

 

因みに会得」と「体得」の違い。

「会得」と「体得」の違いは概念の広さの違いです。

 

広い意味でそれを自分のものにするという「会得」があり、

その中に、実際に体を動かしてやって覚える「体得」があるのです。

 

一番、大きな間違いは「会得」を頭を使うもの、精神的なものとして、「体得」と対比する考え方です。

「会得」が頭を使うもの、精神的なものに使われることは事実です。

「その意味を理解して自分のものとする」ものだからです。

しかし、それは精神的なものに<限る語>ではありません。

 

私の場合は厳密に言うと両方にいえると思います。でも会得の方が重いかな。