関わりのある会社がとんでもない事態に、方位の影響です。

身辺整理をしている。そんな中の1つで樹脂関係の会社の再建に関わっていた。今回大手Hの子会社のN社との取引で復活したのだが、それも不思議なことに日曜日から叔母の所に行っていましたがその御主人がそのN社の役員でそこから仕事を頂いていた。

 

こういうことは重なるんですよね。

 

私がそこから受注することで今日に至っている。それがその社長が4階から転落、一時意識がなかったが、付き添い(介護)の妹さんからの報告ですと、半々意識が戻ったとのことで今後の会社運営の問題が生じている。(皆さん!調べると御丁寧に暗剣殺⇔五黄殺の往復という方位に出かけて帰りでした。出かける前に差し上げている暦の方位を毎日見る習慣をつけて下さい)方位で自然災害(豪雪など)の件も言いたいのですが影響が大きいので止めときます。

 

息子さんが弁護士なのですが私は息子が後継者として社長になるべきと強硬に主張している。弁護士?私は疑念( not so muchI do not like it very much.をいだ抱く職種と人格を頑なに抱いている。

 

弁護士という人間の出合いが悪かったのでようね。

 

それはともかくも創業者が私のことを信頼し、リーマンショック時には危うい状況であった。それを乗り切ったことで信頼を得た。

 

そしてN協という金融機関から譲り受け角地に自社ビルを建設しました。

私は下請け業の悲哀をしみじみ感じている。そこでメーカー志向になっている。再建以来を受け経営、従業員には「自社ブランドを意識せよ」自分の周りを見つめ独自性を見出すことを心がけさせている。プラスチックレンズをトライしている。

 

息子が弁護士というのは兎も角も自社ビルで復活の条件は実に他を見ることもなく断然有利である。ましてや大手N社の子会社がメインなので当面の仕事は確保できる。問題ない。 そこで気遣うのは私の存在なのです。創業者との繋がりが深く、息子さんはさぞややり辛いだろう。

私は会議の席でも創業者の考えの代弁者に徹した。それでいい。 皮肉ですが、こんなやり取りから70歳を機に何やら「動く」という意識が相当に芽生えて来た。

それは私の存在が前に向くよりも控えに回るようになっている。実に「動いている」私の祈りの中に「戒名」を唱えるという箇所(必要に応じて)がある。その方の先祖、親などの戒名を唱えると実に動く。動いてきたことを自覚する。

 

この会社は創業者が私の実家と縁が深い、一時は数カ月、樹脂のプレス(作業名が分からない)作業を手伝ったことがある(リーマンショックで最悪の状況下)。それでご先祖にご協力を得ることで戒名を知ることになった(そのくらい大変であった)。効果度というよりは自然であった。それで私自身のこの世の役割の1つとして認識した手法である。

 

戒名そのものは意味のないものとしか捉えていないのだが、現仏教は死者供養のイメージが強い。死者供養と御利益信仰がメインです。つまり、死後の世界で成仏したいというのと、病気が治りますように、商売繁盛しますように、という御利益を、庶民が求めたのです。

 

江戸時代には檀家制度が出来、故人の宗教というよりは家の宗教になり、先祖供養の意味合いが大きくなりました。

 

でも私は姓名判断は信じませんが、最初についた名前はいわば、「印(しるし)」なんです。それを開運、御利益という理由で改名など無意味な事です。

 

そういう意味で「では何故戒名を拘るのか」印(しるし)だからです。印は坊さんがつけたにしても墓石にも刻まれています。だから印としての意味(現世と来世の繋がり)があるのです。(戒名そのものに力があるのではない)

 

戒名を唱えるとその方が出てくる、出てこないなどというものでもありません。「通じる」ことで「動く」ことがその意味があるのだと最近悟りました。