生活パターンが一変し、叔母に気遣うことが出来るようになった。

25日日曜日午前中に出発し西習志野の叔母のところへ行く。

それは一人住まいで孤独と闘っている。孤独からの不安、今まで頼っていた人には疎まれ、その理由は解るのだが(どっちもどっちという意味)。

 

叔母が陰で言われているのは、その叔母への評価を私の表現で言うと「でもね!婆さん」。

 

会話中に「そうね!」とか「なるほど!」「あなたの言う通りかもしれない」と納得してもそういう表現をしない。納得しても、そう思っても「でもね!」から会話が始まる。

 

其の叔母はどうして「嫌だ!思ってそっけなくされるか。よそよそしくされるか」。自分が嫌われている(疎まれている)その嫌う人間の問題にする。

 

実は私のように客観的に又幼い頃から叔母を見つめていると良く分かるのです。

「でもね」はその意味するものではない。「はい!「ええ!」とか納得でも返事のようなものなのであろう。

 

「でもね」が出るのはそもそもが、プライドが高い、気が強いのでしょう。何でも自分が正しい。自分!自分!何でしょうね。いつも一方的に自分の話ばかりですからそう!言えます。

 

叔母の所に行く目的は日に誰にでも一日に何回の電話をする。そんな一方通行な会話が頼っていたい人からも疎まれ、皆が距離を置くようになる。

 

其の叔母は母の三番目の妹、母が早世し、祖母と三女、四女の叔母に育てら芳恩を忘れない。その為に入所希望の老人施設の見学同行、亡くなった後の書類を私の託したい為の説明を受けに行く。もう私しか相手にしてくれないのであろう。

どうしても大文字になってしまいます。すいません

 

敢えて説明します。私の母は長女、父は養子。その母が亡くなり、資産家の家の財産を守る為に次女(母の妹)が嫁いだ。いわば犠牲者ですね。それが育ての親。それも亡くなりました。

その育ての母が深謀遠慮の女性。一癖、二癖、三癖、四癖否もっとでしょうが、その影響が未だに私の付き纏っています。

 

そんな複雑な家系ですが、今は時代の変化に追いつけず。落ちぶれたとは言いませんが減ってはいても資産は現存はしています。細々とでも生きながらえています。

 

その叔母は母親のように思っています。それで今まで頼っていた人(私の腹違いの妹)から疎まれているので、ならば協力することに致しました。それも芳恩の一つです。

 

25日日曜日午後から二泊三日くらいの予定です。叔母の話しをゆっくり聞いてあげようと思っています。

 

さて、TVや会話中に「焼きそばが食べたい!」と思うと三日ぶりに買い物へ。メモよりも多く買ってしまう。「酒は飲まない!」などと固く誓ったのですが、喉が欲している。缶ビール6本をかってしまった。赤ワインも。

 

焼きそばを調理するのも、やることは極端で3玉を野菜と豚肉で一度の全部料理してしまう。やることが極端なのです。ソース味は久しぶりです。

要するに摘みも兼ねています。ビールと合いますよ。

 

16時ころからダラダラとした食事、ビール、焼酎で老人弁当も摘みに(塩分控えめ等、何もならない)、ダラダラと次は大根と手羽先の煮物、甘いものが欲しくなり途中で又口に入れる。

 

買い物にはスーパーの広告で鰤(ぶり)の切り身が安い。好きな鰤の照り焼き。不思議な性格で味噌汁は飲まないので味噌を買うと必ず余ってダメにする。

 

その残りの味噌が気になって、気になって、又塩サバ(安いからでもある)でサバの味噌煮を。

真アジの刺身が珍しく並んでいたので買ってしまった。

 

朝食用のレタス、大分値段が下がっていたのでつい丸ごとかってしまった(いつもは半分)叔母の所に行くとなると余って色が変わってしまうことを悩んでいる。

 

その他食パンやなんやかんやと、まるでストレス解消のように買い物をドサッとやってしまう。叔母の所に行くので当分は買い物をしない。 そろそろ「外食病」がぬくぬくと頭を擡(もた)げる。

ゴンジャ」でたらふく食べに行きたいな!

でも自分が悪かったのではないか、(今までの食生活か、いや激しい生きざまか)という気持ちが頭をもたげてきた。

 

生活が一変すると、まずは運動不足になる。本門寺に近いとそこに散歩に向かうお年寄りが何と多いこと。そんな見方をしていたがとうとう私もその仲間入り。

 

今日は吉方取りも兼ねて、南に向かう。地図で確認すると、何と私の出身小学校がその方位にある。それに向かうと懐かしい物(建物)、変化に驚きキョロキョロしながら歩いている。中学校の前も通りました。

 

前からくる人が見たような顔(皆そんな風に見えてします)、声かけをするのはかえって相手に不信を抱かせる。

でも小学校の横に流れる呑川、その橋から川面を眺めていると鴨の親子が、暫く眺めている。

 

帰る途中、以前住んでいた家の前を通り過ぎようとするが、又戻り門まで歩み寄った。現在の住人に気がつかれたらどうしようかと思ったが懐かしい。子供と過ごした痕跡が植木や門の傷などそのままであった。

 

ちょっと気が重くなってきた。実に重い。むしろ悲しさから気分が悪くなる位であった。近所でも有名なピンクの大きな家であった。今は色あせているのが、まるで自分の分身のように不思議な思い(心が痛む)で哀しかった。

 

私のニ階の11畳の部屋がブラインド―から微かに中が透けて見える。プラインドーもそのままであった。部屋の様子はどうなのか。風呂はニ階だがどうなっているのか。

 

そんな思いのまま、隣近所の目を気にしながら足早に家路を急いだ。

今は自分の歴史(思い出)を追いかけているようです。