肩が張る。私は今まで全くそんな経験が無いのにどうしたのであろう。 確かに体調は血尿が出てから身体に今までとは違う、いろいろな症状が出て来ている。 これも初めてだが喉が唾を飲み込むたびに痛む。正月の為に医者へはいけない。そうだドラック・ストアで昔、喉に塗った薬を買ってみよう。
ルゴールと言ったと思う。幼い時に喉を痛めると親が塗ってくれた。大人になっても妻が塗ってくれたり、ルゴールってうがい薬ではなかったか?何だか70歳の小父さんが喉の痛みで戸惑っているガキのようだ。
その喉の痛みをルゴールを塗るのは説明書では綿棒で塗るとある。それが上手く濡れない。
第一ちっとも良くならない。懐中電灯で喉を照らしそれで患部を狙ったもダメ。
あー!そうだ。確か医者が脱脂綿を金属の器具にくるくると巻いてそれに薬をつけていたのを思い出した。確か家でもそうしてくれた。
脱脂綿をドラックストアで買いに行くととてもデカイので「こりゃダメだ!」と諦めて綿棒で我慢してやっているが、ちっとも良くならない。 どれでとうとう大家さんに連絡「脱脂綿ってお持ちですか。あれば少し分けて頂けますか」事情を話すと「化粧用のコットンがあるからそれを使ったら」と分けてくれた。なるほど!なお大家さんが以前、喉に良く効いた薬も頂いた。何だか「高そう!」。
割り箸にコットンを半分に切って、くるくると巻きゴムで端を止める。ルゴールをつけて懐中電灯で喉を照らし、「何と一回で十分喉に薬を塗布出来るではないか」その後数回塗布すると喉に変化が良くなっているようである。 ル―ゴールの甘さが何と頼りがいがある。よくよく考えると寒暖差アレルギーが今回は直りがとても遅い。鼻紙が何回もゴミ箱が溢れる。 それで喉と鼻が炎症を起こしそれが喉まで影響したのではないか。振り返るとそんな気がする。
たかがこんなことでも血尿以来、臆病になっている。それは年齢もそうしているんだろうな。変化にも慣れなければ。
きっと!慣れる。慣れないと。でも臆病に成りました。そして不安になり喉の痛みだけでこんなに周りを巻きこむ。些細なことだがこんなことでも大袈裟に受け止めてしまう。
こんな様子は皆さんなんでそうなるかもう!お解りですね。一人で鏡に向かっている姿をご想像下さい。孤独感です。寂しいんですよ。
そんな時に独り住いの叔母が暮れから正月にかけて何度も、日に数回の時もある。
それが「フミヤス!一人で暮らしていると寂しいよ!」と電話が掛かってくる。
この叔母(子供がいない)は私の母の妹、私を自分の子のように可愛がってくれた人。そんな叔母の話し相手になっていると、今の自分も今までとは違う意識がだんだんと叔母と同じ精神状態に陥る。
肩が張るのも右肩に、そんな心境に亡くなった母が来ているのであろう。心配でたまらない母の心境を叔母から初めて聞いた。
それは。
結核で私を産んでも抱けない。「この子は私は死んだらどうなってしまうんだろうか」と言っていたそうである。だからいつもやってくる。
暮れの大掃除の時、こんな時は何か私に母が語りかけているんでしょうね。忘れていた母に黄ばんだ実筆の文章が現われた。
「文泰も三歳になった。私も三歳の子を持つ母となったのか・・・。愚かな妻、至らぬ嫁とののしられつも、私は文泰の母だ、間違いなく母だ。
家中の皆から愛されて居る文泰ちゃんの偽らざる母である。
文泰ちゃん今はお母ちゃんの許(もと)を離れていてもきっと又懐に戻って来てね。
文泰ちゃん、文泰ちゃん」
と実に達筆であったのが改めて驚いたが、この文章は今まで二回見たのだがその都度心境が異なる。今回は悲しくもなかった。一回目は嗚咽が込み上げた。
ただ何故今のこの精神状態の時に又母が綴ったこの文章が出現したのであろうか。
気晴らしに久しぶりにゴルフレッスンに行った。何と!好調!
ゴルフ場は主治医から禁止されている。もし5ミリの炎症を起こしている結石が落ちた激痛で同伴者に迷惑が掛かる。
主治医は私の性格を知っているので運動不足にならぬようにレッスンは許可になった。