私の不思議な言葉は「深謀遠慮」実家の姿は「魑魅魍魎」。

私が未だに不可思議な言葉に「深謀遠慮」と言う言葉がある。屋敷は「魑魅魍魎」凄い広く大きな家でした(裏が竹やぶで沼があったり、野鳥の棲みかでした)

 

深謀遠慮。その文字には育ての母親に対する気持ちが籠っている。それは当然年月とともにある思いが減少し、変化して行った。(私の母は産んで直ぐに夭折しています)

 

育ててくれた母親から妹、弟が存在する。私の実家は大田区でも素封家と言われる千五百坪の土地に家を構え、その他借家、借地を抱える地主を言われる家で育った。

 

その母に対するのが「深謀遠慮」という言葉である。母は弟に川嶋家を継がせるために、その言葉が示す通りの深く考えを巡らし、後々の遠い先のことまで考えて周到に謀(はかりごと)を立てていたのである。

 

それを知ったのは両親のお陰で実家から一キロ離れていたところに立派な家を建ててくれた。母の謀を知らずにお目出度い私は家具調度品を懲りに凝って選びまさに幸せという夢想の世界に浸っていた。

 

母は根っからの悪人ではない。そうした母の計画がぼろぼろと崩れ始めた。それが出入りの人々(親戚には言うと反対されるのが分かっているから言っていない)には弟が川嶋家を継ぐことを公にしていた。

そしてそれを正当化する為に私を長男でありながら、跡取りとして不向き人間性であると説明をしていたのである。

 

それがぼろぼろぼろと崩れ始めてのはその出入り、特に銀行員から「御母さんから伺っていた、ご長男(私)とは実際に御目にかかると印象がまったく違いますね」と不可思議なことを言いだしたのが私の母の本音を知るきっかけでした。

 

出入りの銀行員は私の会社にも取引をしてもらいたいので足繁く通ってくるうちにも、同じ人間ですね。銀行員としては有るまじき行為なのでしょうが。

母の言動が事細かに聞くようになり、驚きを隠せない私は勿論恨みから、母が銀行に借金をした6億円の連帯保証人に名が連なっていましたが、更新時に保証人を断りました。

 

銀行の担当者が私に情報を流したのは長く担当して母の傲慢さと財産に胡坐をかいていて世間知らずと他を卑下(見下す)する態度が鼻についていたからでしょう。

 

それからが母の態度が一変し、本性丸出しになりました。「子供なら当然に義務」という、ましてや家を建ててやった。という態度が表面化しました。

 

「そら!出た出た!」と私は家を建ててもらったこと、その代償。今までの私が得た情報を家族会で公言しました。 勿論、母は否定しました。それで私が反旗を翻した行為の理由もそれは家賃のような形で実家の口座に振り込んでいた金額をある日ある時から支払わなくしました。

 

それはこうした家族会で私の発言をする機会を設けたかったからです。

 

私は実は家は失っていもいいと思っていました。私の家族がいますが、そろそろ自立する歳でもあり、私一人ではなんとでもなる。という考え方で挑みました。意外と、ものに対する執着が全くありません。(子供二人は離婚しましたら私について来たのです。当時は子供の選択が話題になりました)

両親や親戚も先祖の残した財産の上に安住し、その名声の上に胡坐をかいている。とても醜く、脆弱に見ていました。

 

こうして今日、私の気楽な人生が始まりました。

 

高齢化社会へと老後にはどのくらいの資金が無くてはいけないか。など、情報が錯綜していますが健康であれば何よりです。読んでいると不安に駆られるのでチョイ見で済ませています。 歳とともに人生の余分(贅沢という)な贅肉を削ぎ落としシンプルに生きていけば何とかなります。甘い!

ただそばに良い伴侶が傍に居ればとより良いし、居ないというちょっと淋しい時もあります。

 

前妻はうろついていますが、これも縁かなと今はついたり、離れたりと年寄りの駆け引きの最中と言ったところで何か縁のようなものを意識はしています。

 

今、男女とも独身が多いですが、老後は淋しいのが分かっていない。歳を取って二人で散歩をする老夫婦を見ると羨ましいなと思うことはあります。今は一人は気楽ですが淋しい時もあります。

 

ここでお気づきでしょうか。父親のことが触れられていませんね。それは父は養子で私の母が亡くなって財産を守るので祖母が母の妹を嫁がせたのです。それは資産家ならではの「守り」の手段ですね。母は女4人姉妹です。

 

ですからある意味では複雑な人間関係ですね。育ての母は川嶋家を「守る」という為の犠牲者でもあるわけですからね。