やっと静かになると思ったが、問い合わせが続く。

やっとというか、いつもの「決まった手順」「お決まりの所作」「日課」などのルーティンに近いきまりきった仕事日々作業ルーチン-ワークが始まる。

 

ちょっと違って来たのは大森駅方面へ行くことが少なくなったことであろう。それによるお決まりの行動が狂って来た、違って来たということである。

 

私のルーティンに主流はやはり飲食である。生きることに支障を来すからで、そのウエイトは重要である。

 

いろいろ行きました。いろんな店でいろんな料理を食べましました。余り言うと未練がましいと言われるのですが「Rossえびす家」の影響が大きい。料理とマスター、マー君(息子)は正直未練がありますよ。楽しかった会話は今はないから拍子抜けしています。

 

「味」にはとてもうるさいとはよく言われるし自認している。それは今回は味を取るか、人間関係からくる居心地を取るかであるが、私は居心地を選んで「安らぐ店を探し歩いた」

 

それが「こんなところにCafé」だがまだまだですね。人間関係の構築というのはなかなか困難と極める。それは自分に問題がある。手古摺っている。

それは生年月日が分かったら証明できるだろうが、一ツ障害がある。否、それが丁度バランスなんでしょうね。気にする人がいないと例え客であろうが店とのバランスが悪くなる。

 

そんなに望むほど早くは居心地の良い環境は出来るものではありません。

何しろ70歳も生きていると癖だらけで個性の塊(かたまり)ですから、それでも結構、言動には気を使っているのですが、ムクムクを自我が出てしまうんです。

 

自己主張が強いんですね、良いところを見せたいと言うのではないのですが。そうではなくて知識は表現しないと身にならないんです。使わないと身にならないんです。

ブログはそのほんの少しの試みに過ぎない。

 

心理学の派閥にも自我心理学派と自己心理学派があります。 自我心理学派の歴史は古く、自己心理学派は新しいです。 優劣はありませんが、時代的に「自己」の方が、「自分の認識する世界は自分1人だけでなく、他人との相互関係も通じて成立してくる」という点で、現実的にも理解されやすいです。

 

フロイトは他人の存在は無重視して、自我が勝手にしていることにした。 自我は自己を動かして他者とかかわるため、直接他者にかかわることはない。 自己(セルフ)は自分自身で感じられるもの。直接他者と関わる。 他者視点での私の体験を自己と言う。 自分は悲しんでいる、など感じられる。 よって相手と共感することで他人の自己が観察できる。 

 

と何かに書いてありました。それだけ自己をあやゆる方面で見つめようとしたいるんですが。なかなかね?先人の言葉などで一気に自分が変えることが出来るならと視界を広めているんです。

 

今はやっと静かになりましたが、相変わらず無能の小池が今日希望の党の代表を辞任するという報道があったらしく与党から問い合わせがありました。

問い合わせをする必要がないと思うのですが、どうも公明党絡みでどう扱ったらいいかという内容でした。

 

どのように答えたと思いますか。後日。

 

私の周りは小池ファンばかりでした。一時的には、極端ですが意地が悪い私ですから「誰だっけ?小池小池と騒いでいたのは」とその当人を探しています。

 

そうした方の逃げている姿は滑稽で、まるで今の小池氏のようで惨めですね。

どこの居酒屋でもそうでした私は皆さんに批判されましたが、その人たちは今は知らん顔、

 

小池いじめはこのくらいにしておきます。でも収まらないのは支持した奴らです。相当批判の渦に巻き込まれました。

 

さて、世界的に見てサタンの力が増して来ていますから、世界はますます混乱するでしょう。でも世界が救われる救世主が現われると私は信じています。

 

ここで又小池氏に戻りますが、その救世主は身近な所にいるんです。既に。

それに小池氏がその方と大いに関わる人物(その方本人ではない。まだ、ご本人もその自覚がない)を晒し物にしたんです。その報いですね。

 

何度も言いますが小池氏は考えるだけで気持ちが悪くなるんです。あれ!何ですか?性別は?今の人相見て下さい。希望の党設立時の会見の顔と今は全く覇気がない。しわを隠しているファンデーションののりが悪いのがみじめ。でも小池氏の出現は面白かった。

 

何も背負っている物・者(憑依現象)はないが神も悪魔も価値のない人間として扱っているのでしょうね。(ただ騒がしているだけの存在)何かが憑依しているほうが遥かに人間的です。