京都の叔母を見舞いに。其の時10年ぶりの友人の僧侶と会う。

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<本来の手の組み方><私は両手に丸(輪)を二ツ作ります>

京都の娘に引き取られた二人の叔母の一人が体調を崩し、以前訪ねたことがある。

それは忙しく数回通ったが、ついでといっては何ですが、昔八ヶ岳で知り合った僧、長年の気がかりであった僧侶のSさんとの再会を果たせた。

 

親鸞聖人を慕う、ご本人は聖人の仰る「非僧非俗」を宣言されています。「僧に非ず俗に非ず」「私は僧ではありません」ということです。要するに葬式法事は致しません。墓番も致しませんということです。

 

私がMTB八ヶ岳で草原を走り回っていたときに獣道を走破していると「なぜこの道を選んでいつも走っているのですか」と近くのペンションから見ていたらしい。 とても気が合って、出会った当初は私が小学校からヨガをやっていたので今でも座禅をし、瞑想していますとお互いに訪問し合って夜、瞑想したものでした。

 

この私のヨガとの関わりは小学生からでインドでヨガを学んだ中村天風と言う方が日本人に合うようにして広められ広まったのです。

 

本来の座禅の手の組み方が違うのに気がつかれ、私は両手に丸(輪)を二ツ作ります。

それは私独特の世界です。そんなことでも興味を持たれたのです。

 

二人は「まさに山籠り同様ですね(笑)」私が瞑想するのは激しく疲れを吐き出しているのである。その口から蒸気のような小さな悲鳴をあげ続けることで、やっと生きていることを証拠立てている。(困難にうち勝つためにMTBで激しく走破しているのも同じです) それを「生涯つきまとった非俗とか出離とかいった陰翳を払い除くのが目的です」とお互い頷き合いながら瞑想したりしていたのです。

 

 

今は八ヶ岳の別荘も売ってしまいました。周りに別荘群が建ち始め、みんな有象無象ばかりで昔の面影が無くなってしまったのです。別荘とはいえ、私のとっては迂遠なものであり、仮寓(寓居)でしかなかったので何の寂しさもなかった。

 

ただこの僧とご縁かそれ以来、別の道を進むことになったことです。暫くは八ヶ岳で修業されるとのことでメール交換はしていた。

 

お会いして驚いたのは10年近くお会いしていなかったことを知った。

メール交換は意外とこうした時間(年数)の経過をに鈍らせますね。

 

「又会いましょう!この辺りは早春にはタンポポや菜の花が咲く季節がいいそうですから、昆虫が黄色が好きという言葉が美しく想いを繋ぎ記憶すると言います。そんな花が咲き始める野の摂理に従うのもいいのでは」と言ってお別れしました。

 

僧は二歳年下です。私はまさに70歳のオヤジさんですが彼は老いの寂(さび)はなく、少年のような笑顔のままで、まことに尊げだった。