私は見た目よりも節約家なんです。生活を見直し、変えることにする。

同級生が肺がんで逝去し、70歳といういみじくも何を言い表しているのであろうか。

ショックは勿論であるが、まさに(いみじくと同じ大和言葉)私が70歳になった翌日であった。意味深であり、物思いにふける。

 

呑み友だちであり、どちらかと言うと気が合わない人物であったが其の相違点が大いに刺激になっていたという関係であった。一番呑んだ人であった。

 

共に団塊の世代、越境の多い受験校の同級生でもあった。何しろ16クラス(P組ですよ。で一組に60人近くいたのですから、因みに私達は3P会と言ってP組でした。

 

彼らとは共通の意識がありました。それは受験戦争から始まって社会に出てからもそうした戦いの歴史でした。其の同志としての物事に取り組むときの心が「常在戦場」で、常に戦に臨むような緊張感を持って生きていたように思います。

 

戦場にいる感覚で、いつも気を引き締めて行うべきであると説いた言葉ですがそうした同時期に共に戦ったという戦友であり同志でもあったのでしょうね。

 

ですから同窓会も3年に一度でしたが、皆仲が良かったです。

 

そんな彼(共に後3人いますが、独りは既に早世している)は私の生き方も仕事に対しても批判的でしたが、29歳で会社設立、バブルを謳歌した時期、その後90年バブル崩壊し会社を整理、離婚し子供二人が私を選んで子育てをしていた時の励まし、怪我により収入をストップすると精神的に支えられる(公共料金すら払えなくなる)。

先輩の外資系の会社からの誘いで生活は成り立った。その間3人の友人が精神的に支えてくれた。(外人スタッフばかりで大学卒業程度の英語力で美大は特にレベルが低いので苦労した)

 

今の姿は宗教法人の注文から、仏画の世界へ、そして店舗のイメージデザインで家相が必要であることを知る。それから以前から異次元の世界との関わりがあったのですが、それを氣學を基本に徹底して中国の資料を調べ氣學を基本に独自の世界を開拓した。

それで漢文、漢詩の世界に魅入る。

 

それは「霊数」という人としての基本(人体で言えば骨格)を独自の世界を切り開く。それに経験とか環境で筋肉がついて人としての姿が見える。成る。

 

そうして鑑定分の冒頭に必ず記載する言葉がある。それは。

 

「氣學とは「人間諸般の運勢と大気(大自然)とは密接な関わりを持つ」との考えに根を置き大気には、人がこの世に生を受けてから常に影響を受け続ける。

目に見えない時々刻々と変化する「氣」(エネルギー)が存在すると考え、その「氣」の種類・性質を探求することによって、人々の幸福に役立てようとする思想であり、その具体的手段としての占術であるといえます。

「氣學」は中国5000年以上の歴史からなる学問(運命学)であり、」経験値に基づいた統計学です。

生年月日を重要視するのは、私達はこの大自然の氣に触れ、生まれ出て後、産声を上げ呼吸をし始めた瞬間からその性格や運命に大きな影響を与えられそれぞれ一生を歩むといわれます。人間には様々な概念を学習や経験によって習得するのではなく、生まれた時から既に備わっているという生得説に従っています」。

 

私はよく誤解を受けるのが、「生活感がない。感じられない」と言われる。それは有難いのか、人としてのレベル(意識・楽観的)が低いのでそう見えるのか。最近改めて自分の姿を過去から今を見つめることになった。

 

実は私は二面、三面の顔を持っている。

占い、会社再建屋(大袈裟ですが)、絵描き(主に仏画)、老人に関わる事業(今は関わりは低い)など実に複雑で忙しい。

 

事業も29歳から営んでいると当たり前だがラフな経営は出来ない。とても計算堅い。無駄使いをしたと思えば、出来るだけ質素な生活をする。3000円無駄使いをしたら、3000円を節約する。1000円落としたら、1000円の節約をする。100円でもそうである。食事を抜くことすらある。

 

そんなことは他人には微塵も見せない。不幸の経験や努力したことは絶対にごく一部の人しか明かさない。「努力」という言葉が大嫌い。自分でするもの、人に言うことではない。

 

占いでは鑑定料は基本は一般では2時間3万円、企業、政治家、暦は一万円、芸能人は10万円。不動産に関わる相談料は成果主義の報酬、内容によってパーセンテージが決まる。

 

そうしたことを基本通りに頂いていたら、今頃私は高級スポーツカーなど4~5代は揃っているでしょう(笑い)。弟子は預金が1億円あるそうです。いつもクルーズで世界旅行に行っています。

 

占いなどは不定期なのですから丁度いいんです。それが今の私にはレベルに合った生活なんです。

 

私を身近に知る人は殆どは大金持ちに見えるらしい。それはごく限られた行動によるからであろう。海外旅行は行かない、温泉で一泊を一年に一回程度、せいぜい服を買うのが楽しみくらい。最近はゴルフを始めましたが、それも左臀部、左下肢の痛みからがきっかけ。

 

最大の楽しみは美味しい物を食べること。考えてこともないのだが、今回誤解を受ける自分を振り返ってみた。平均週3~4回の飲食、一回の4~5000円は使う。

そうすると一週ニ万円位、そうすると月に六万円は使っている。

その他月一回「お肉の日」でそれを含めても七万円は飲食に使っている。

 

私は料理は得意なので一時(子育て時)は真面目にしていましたが、独りは無駄が多いので外食になりました。そうすると買い物(酒も含めると)でもそのくらいは使うでしょう。

 

整体で救われ、其の先生のアドバイスでゴルフを始めたがラウンドは月1~2回くらい、ゴルフ個人レッスンは週に2回(月に口座引き落としで17000円~18000円位)、スーポーツジムは大嫌い。ラウンドレッスンは一回二万二千円(交通費、プレー代、レッスン料)食費はコースによる(含む場合もある)毎月ではない。

 

やっていることは派手で目立つので華やかな生活を見えるらしい。

それとお洒落に対してはとても執着があり、お洒落は料理(主婦が長生きなのと同じ)と同じで組み合わせを考えるのがボケにはいいらしい。それも誤解を生みらしい。

 

考えて下さい。私の周りの方、ご夫婦など海外旅行へ行かれる。月に数回は飲食をしている。私のように固定したところしか行かないのではなく、結構出かける。

 

海外旅行はいくらかかると思いますか。年に一回なら数回の人もいる。誤解が恐い!

 

改めて、初めて詳細を計算してみてたが、”人の見る目”の怖さを実感したからである。

 

行動を見直すいい機会になった。良い場所を探すのは結構厄介なものである。

それでゴルフに一生懸命になることにした。