読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

知識はひけらかすものではない。知識は己の愚かさを知る。

今、BACCOの地下でお肉を頂くところです。

久しぶりに本格的なお肉を頂く。牛肉が食べたくてMちゃんにLINEでオーダーをする。 このMちゃんは万事心得ているので私は彼女を頼り、任せっきり。細かい問い合わが来るも「任せる!」の一言である。

 

今後も月に1~2回程度の「お肉の日」を設けて1階は避けるようにしている。 もう!70歳の年寄りの行くところではない。 えびす家も本当はどうなのか分からないが、政治(宗教、野球)談議のお盛んな居酒屋で珍しい。

それは私も嫌いではないので積極的に参加するが、それもヨーロッパ(私はベルギーでしたが)当のクラブ(飲み屋)はホテルのバーで飲むより、談話の空気を楽しむ場所らしい。クラブ文化を同心円のものとして位置づけられている。

 

日本人(私の)の感覚からい言うと爾汝の交わりが一面、人情深いが、反面、ざっけない。ように思わるるが、私の血は大陸的で狩猟民族の方が性に合う。

 

日本人のこうした場面はどうしても言葉は道具なのでそれ自体いい悪いではない。使う人間によって良くも悪くもなる。大事なのは、使う側がどういう意図でこういう言葉を使っているかだ。

 

使う人間が、顕示目的で、即ち、「俺はこんなに知っているんだぜ!という意味を含めて使いまくれば、自然と、その言葉にはそういう「怨念」がこもって来てしまう。

 

日本ではクラブ文化は難しい。えびす家では迷惑をかけているのであろう。そういった際は早々に逃げ出そう。

 

農耕民族、島国根性は合わない。自己主張が強い私には日本は息苦しい。行きそこなった。機会を失ったポルトガルへの移住はいまだに未練が残る。本当に行きたかった既に遅い。

 

考えるに甘さの中にすっかりと浸かっていた。日本はヨーロッパのようなクラブ文化は存在し難い。えびす家という環境に甘え過ぎた。今や飢渇(きかつ)に苦しむ。

 

飢渇心理という何やら飢えと喉の渇きを覚える。

 

思い切ってポルトガルに行くか、この歳では迷う。伊勢志摩の知り合いの家(借家を貸してくれる)に移住するか今のうちである。

今度の宗教法人の公演は上述のヨーロッパのクラブ文化と日本の居酒屋文化との違いなど面白いかもしれない。

 

それには孫引きではあるが司馬遼太郎アイルランド紀行を深夜まで耽読しました。民謡ファドが好きでポルトガルへの憧れもあるが、紀行文で英国、スコットランドアイルランド北アイルランドへの興味を深めたが大好きな英国の過去の歴史から考え方も変わってしまった。

 

阿蘭陀(オランダ)、北欧もいいが棲むことと食事は南欧でしょうね。

 

これで公演(座談会)のテーマは決まった。

今晩は大変です。

相談者からの依頼で世田谷の資産家(私の重要な”お得意さん”(嫌な言い方ですが)から親戚からの呪詛(じゅそ)で体調を壊している方からの依頼で其の怨念(相続、土地、金)を取り払わなければならない。

 

日本で「呪い」というと「呪いの代行」という稼業があるという噂がある。いまだに根強い「呪い」という行為。「人を呪えば穴二つ」人を呪えば、呪った人にもその代償が返ってくるといいますが、出来れば呪われずに呪いを返したい。

 

それを指導する訳です。

除霊と違いは(共通点もあるが)心の在り方がとことん左右するので呪われた方がどうしてそうなったか、それを振り返り、呪った方への呪い返すよりも自分自身を(この方は傲慢なところを指摘それを反省することで人の”念”を受け付けない人品骨柄、人品卑しからず、風采は威厳が が出来上がるのです。

 

因みに私は除霊は避ける。一時的にその迷霊を外せるが、その方の心の在り方が修正されなければ又其の霊がとりつく。だから上述のように自己を修正しなければならない。

(特に動物霊は性質が悪い。迷霊も憑依しやすい人にとりつく)

極端ですが世田谷の方は病い膏肓(こうこう)に入る寸前でした。

 

恐いですよ!人の念(想い)は「一念、三千里を渡る」といいますからね。