自分の文章の野放図さが(計算のなさ)が、「意識の流れ」というものだろうか?

日曜日のボランティアではお婆ちゃんのお世話の内容でしもやけ(手)の水虫の処置を土曜日には忘れてしまった。しもやけもだいぶ良くなっている(抗生物質を使用)ほっとする!

今どき、「しもやけ」と思うでしょうがそれが出来ないのが障害なのです。今は役所は障害を「障がい」と書くそうですよ。馬鹿げてますね。国民、都民、区民の「民」は奴隷で目を針で潰してしまうそうです。じゃあ!「国みん」としなきゃ変ですよね。

 

後一日、日曜日が終わるとGW明けとなる。

早く明けてもらわまいと老生の身には些か習慣化するのが怖い。”楽”なのは直ぐに身に着く。

怠け心は直ぐに宿る。

 

働かずとも年金や占い稼業で食ってはいける。が、それではボケるのが怖い。

忙しくしているのはボケ防止、ブログを書くのもそうである(PCでは指をので)今回のGWの休みは精神も肉体も総崩れであった。

 

時間があったのでいろんなことをした、又考えることも多かった。高齢者の田舎暮らしで場所探し、カードの明細をゆっくりチェックしたり。

 

ゴルフのスイングをフォーム(クラブを持たずに)をビデオ撮りでチェック、気がついたのは余りにもハンドアップ過ぎて構えていた。自分ではハンドダウンのつもりが極端にハンドダウンしたつもりでも意外とそうでもない。そんな錯覚がゴルフではありがちである。

同時にパットの構え、これも前傾姿勢をもっと屈んでもいいのにフォームをビデオで見るとはっきりした。

 

頻繁にブログを書いていると、ハッと気がついたことがある。自分の文章の野放図さが(計算のなさ)が、「意識の流れ」というものだろうか?

 

思いつくままに思考が変化していくのが特徴的。通常の心理描写とは大きく異なるが、発想が思うままに展開していくことが私の特徴としてある。

 

私が日記や手紙を書くように書くわけです。この書き方における心理描写というのは、主に〈自分〉がどう思ったかで、〈他人〉の気持ちは推察にすぎません。そもそも起こった出来事をニュートラルに書くわけではなくて、ややいじわるな言い方をすれば、起こった出来事を〈自分〉のいいように取捨選択して、時に曲解して書くわけです。

(えびす家のマスターにもそれに近いことを言われた)

 

人間の意識は断片的な塊(かたまり)をつなぎ合わせたものではなくて、いつも切れ目なしに流れているのだから、「思考、意識、または主観的生命の流れ」と呼ぶのがいいと主張したことによる。

 

思考を劇的にまたは論理的に整理して説明するのではなく、知覚、印象、感情、記憶、連想、知的思考など、意識の働きのいっさいを、生成消滅のままに、論理的な脈絡にとらわれずに表現することだと思います。それが「意識の流れ」というのだろう。

 

この休み、休暇は自分を見つめるというのか、仕事に追われるというのがボケ防止などと言ってはいるが、自分を見つめるのも今回、他の事はともかく、これだけは落としてはならないことなどと、考える時間を与えられた。

でもね!自分を見つめることで仕事に追われていたリズムが踏みとどまって。じっくりと。ゴルフと同じだね。スイングは正面で一旦ボールをとらえないと真っ直ぐに飛びませんからね。

 

最後にこんな心境(結論)に至る。自分の長、短所見えてくるんですね。

「長所が大きくなればその裏側の短所までが美しく輝く場合が多い」

 

あんまり考え込んだのでシャンプーしても直ぐに頭がのぼせて(熱くなって)痒くなるのが早いのがいつもと違っていた。

スッと振り返ると一瞬だが目眩(めまい)がする。右足の中指あ痛む。とても気になっている(ゴルフで踏ん張るので、一時は出血したくらい、力んでいたんですね)

 

こんなことでも人生の繋がる。最近はゴルフも力まなくなった。ゴルフに関して言えばそれでも返って距離が出る。人生もそんな力まないように生きられればね。

 

隣でTVで流れている言葉など書き留めるのだが、それを時に意味なく書いてみます。

(メモ癖)

*「働いて汗を流さなければ其の有難さ(価値)が分からない

*「知識は己の愚かさを知る」

*「自分のが幸せの時は他人も幸せにしたくなるのだが、上手く行くといいね」

*「誇りよりももっと大切なもの、それは生きること」

*「正直者はこうべ(頭)に神宿る」

*「鳩が去り、カラスが来る」こんな注釈があった「無駄死、戦争による死」???

*「夜明け前はもっとも暗い」これは知っていた。

*日本人の「頂きます!」は食べ物に対する(生命あるものに)”畏敬の念”

これは皆、TVからのメモです。