私憤ではなく、公憤を持つ人でありたい。

暫くぶりの休み、どう過ごしたらいいのか戸惑いながらも散歩したり、桜並木のベンチで新聞を読んだりした朝の時間をこなしている。

 

昨晩は流石にえびす家が休みなので、家では過ごし方がちょっと戸惑う。正直、ちょっとどころではないが。それで堪え切れず南欧レストランの「ベネディーレ」で美味しいピッツアを食べに行った。ここは本格的なイタリアの小麦粉を使っていない。本格的なのは粉っぽいのだがイタリア人はこんな粉を使っているんですね。

 

帰路、前妻にばったり出会う。その時の話は後日に(毎度、人騒がせな女性である)

 

こんな時は独り暮らしというのは、たとえて言えば、寒い中を帰宅したやもめが、自分で自分の部屋の電灯をつけ、自分の体温で室温を温め、ちゃぶ台(今は使っていないが遥か昔、そんな時もあったな)を出して飯を食うようなものである。

だから、当座は、精神の内圧と外圧とは食い違っていて、一種の金属疲労のようなものを感じた。

 

こんな時はいろいろと考える時間がたっぷりあるんです。家でこうしてブログを書いていても、桜並木で新聞を読んでいても、別な頭で一生懸命考えている。結論を出さないと散歩していい空気を吸ってもすっきりしない。

 

出ました。こんなことを導き出された判断です。

 

西ドイツの首相であったアデナウアーが、アメリカのアイゼンハウアー大統領に会った時、こんなことを言ったという。

 

第一は、「人生というものは70歳にして初めて分かるものである。だから70歳にならないうちは、本当は人生について語る資格がない」ということ。

 

第二には、「いくら年をとって老人になっても、死ぬまで何か仕事を持つことが大事だ」ということである。

 

この二つはよく言われることでもあり、又分かりやすい。

 

けれども三番目に言ったことはちょっと違う。

 

「怒りを持たなくてはいけない」というのである。

 

これはいささか奇異な感じがする。

 

怒りを持つ、腹を立てるということは、普通ははむしろ好ましくないとされている。

 

できるだけ腹をたてずに、円満に人と接し、いわば談笑のうちに事を運ぶ、それがいちばん望ましいと誰もが考えるだろう。

 

ところが、そこにはアデナウアーは“怒りを持て”という。

 

一体どういうことだろうか。

 

これは、単なる個人的な感情、いわるゆる私憤ではないと思う。

 

そうでなく、もっと高い立場に立った怒り、つまり公憤をいっているのであろう。

 

指導者たるもの、いたずらに私の感情で腹をたてるということは、もちろん好ましくない。

 

しかし指導者としての公の立場において、何が正しいかを考えた上で、これは許せないということに対しては大いなる怒りを持たなくてはいけないといっているのであろう。

 

一国の首相は首相としての怒りを持たなくてはならないし、会社の社長は社長としての怒りを持たなくては、ほんとうに力強い経営はできないといってもいい。

 

まして昨今のように、日本といわず世界といわず、難局に直面し、むずかしい問題が山積している折には、指導者はすべからく私情にかられず、公のための怒りを持って事にあたることが肝要であろう。

 

本当は第一の70歳と第二の死ぬまで何か仕事を持つということで安心したんですが、第三の「怒りを持たなくてはいけない」とても考えさせられる言葉なので載録しました。

 

私憤(個人的な事についての恨み。私事の怒り)と公憤(正義感から発する、公共のためのいきどおり)ということなんでしょうね。

 

憤とは、「なにくそ、負けてたまるか」と奮い立つことであり、私(わたくし)の怒り、つまり私憤(しふん)を持つことではない。

 

相手を痛めつけようとか、競争して勝とうと言うのではなく、自分のふがいなさを叱咤激励し、己をもう一段高いところに引き上げるための、公(おおやけ)の怒り、つまり公憤(こうふん)を言う。

 

私憤は外に向うが、公憤は自分の内に向かう。

 

世のため人のためを思いそれを憂えるなら、自らが内省し、自分が動くしかないからだ。

 

私憤ではなく、公憤を持つ人でありたい。

 

桜並木のベンチでもこんなことを考えられます。

 

私が「家にいる」とブログで知ると問い合わせが多い。弟子の二人からは勿論、暦を送った人からの「届いた!」という連絡から相談が始まる。

 

それと復活組。改めて吉方取り(吉の良いエネルギーを得る)について、その価値を離れて理解したようで、忙しくなりそうである。

 

実はこの後にとても批判的な内容の事を書いている。それを削除した。年頭に指導霊から、「あなたは今年は”言い過ぎ、やり過ぎ”」で言葉が激しく人を傷つけて「破縁」縁が切れる。その言葉を思い出した。

ハッとした!心に言い聞かせた「人それぞれだ!」というように。

 

私は気が短くてダメなんです。それによるイライラなんです。