読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

純粋に人の幸せを願う行為と都合のよい関係が多すぎるのがつらい。

K氏のお見合いの件は公表することではないのでこの位のしておくが、、考えてみるとK氏も幸せだと思った。えびす家では皆さんこの件がまとまるのを望んでいる。

 

K氏の人柄でもあるが、私が反省を含めて「ハッと気がついたのは、えびす家内では私がその進捗状況を話してしまっていた。それもごく自然に当たり前に、罪の意識はないのだが余り公開するようなことではない。

 

まとまればいいのだが、万一まとまらなければK氏の恥になる。 それで自分言いわけっぽいですが、えびす家では商売柄、人の出入りを見ている。それで人を見る目も人一倍優れている。口も堅い。そんな方がらに応援、心配されているんですから幸せです。

 

私も仕事柄、人を見るのが仕事なので其の鑑定通りの人、その通りになっていく。私が仕事(役割)とはいえ、えびす家の人を見る目の確かさは 一目も二目も置く「こんな上品な女性に何であんな人が」とか。私の仕事はこうしたことが多いんです。「何でこんな男ととか女性とと」 人の好みとはいえ、それに差し挟むことが出来ないことが、とても辛いことがあります。

 

案の定、女性の対し男性の場合が多いのですが、私のいう通りになります。それが向後の不幸に繋がる。

 

私の仕事で「相性」ということがあります。相性が合う合わないは確かにその結果がはっきり出ますが、例として私の両親などは水と油の如く合いません。喧嘩しながらも一生を全うしました。相思相愛などあり得ません。

 

そうした事の理由として占い的には基本的には合いません。でも何故、一緒にいるんであろうか。それは現実には結婚をしないでいる関係。それですと「欲」「他を利用する心」で接することが出来ます。

 

具体的には基本の相性の外に第二、第三の結びついていられる星が存在します。それが救いで基本的には合わなくても一緒にいられる理由になるのです。大人の他人ですと所詮「欲」「利用価値」加えれば「計算」で結びついています。ケースが多いですね。

 

結婚ですと家族という守るべき囲いの中にいるわけで、他人同士ですと其の囲いがありません。一瞬の享楽でいいので引きづりません。気楽なんです。

 

相性にはその真反対もあります。相性がいいのですが他人同士の男女関係、本来ならば一緒に暮らせばいいのですが、それまでの歴史がそう出来ない。20代~30代というのと違いますので都合のよい関係が実に多いのです。妥協、打算ですかね。

 

此の頃の占いではこうした晩婚者、そこそこに社会的経験者のこした関係が多く。結婚が全てではないですが、人の成長には「我慢」が成長を促します。我慢、否忍耐、辛抱です。

 

私は人の心が見えてしまうので別れを何度か経験していますが、ちょっと違う世界観なのです。(言い訳かな)

 

我慢じゃないですね。

我慢とは、仏教煩悩の一つ。強い自己意識から起こす慢心のこと。現在、一般的に自分自身を抑制し、また耐えるという「忍耐」の意味あいで用いられる「我慢する」は、もともと「我意を張る」などという強情な心意を介した転用で、近世後期から言われるようになったとされている。