戦に勝つということは。

辛いなあ!70歳にはそろそろ土・日曜日の知的賞が者のお婆さんのお世話はきつくなってきた。

8時からですが、準備もあり、6時起きるのだがこの土・日曜日は自分に勢いをつけて6時代に出発、近くの公園でゆっくりと新聞を読む。

 

何故、公園なのかとバカにされたことがあるのだが、部屋が狭いということもあるが、広くて立派な住まいでも引き籠りになっては。私は自然の中、緑、風の中がいいのです。喫茶店ですら嫌なんです。

 

お婆さんのお世話が終わって、部屋でほっとする。でもやらなければならない洗濯を又自分に勢いと付けてはじめる。やってみたら大したことはないのだが億劫である。

 

占いの方では新たな動きが、古い相談者の復活が頻繁である。それだけ世の中が形勢・世相などが穏やかではないからなのか。

 

このところ、そういう時代が訪れるとは思っていたが、取捨選択の時代になっている私は順番にこだわるが捨取選択を使うが、占い師のH氏、守護霊の何て言いましたっけその方がらがこの世界から相手にされなくなっている。次々を潰れる人が多い。

 

マスコミに出てはダメなんです。真実を語れない。TV局側からこう言ってくれ、こういうことは言わないでくれと要求がある。それでダメになる方が多い。

 

だから私は出ない。

 

その中には改めて私の占いの価値、蓋(けだ)しであろうと認めてくれたというケースもある。何しろ又、吉方取り(吉方、凶方を指示。吉のいい磁場の所に行く)の暦の要求が多くなりそうである。

 

確かに吉という「良い磁場」の所に向かうというのは蓋しその通りである。吉方取り、良い磁場でエネルギーを得る事の大切さを改めて認識した。

 

宗教法人の公演(私は座談形式ですが、公演は宗教学者など著名な先生方が)の内容が決まりそうである。

 

「大功は妖怪をつくる」

既にご存知の人もいると思いますが、読売新聞の編集手帳の一文を紹介します。

一ノ谷の戦い平氏に大勝したとの知らせが原氏方の大将、頼朝のもとに届く。その夜、頼朝が家臣の大江広元と語らう場面が、司馬遼太郎さんの小説「義経」にある。

 

「いますこし、控えめの勝利でもよろしゅうございましたな」。戦勝が大きすぎたことを広元は憂え、いぶかる頼朝にわけを告げた。「大功は妖怪をつくる、と申します」。妖怪とは「慢心」を指す。鵯越の奇襲に成功した戦勝の立役者、源義経の心にはきっと慢心が兆すだろう、と。

 

戦に勝つということは、「五分を上とし、七分を中とし、十分を下とする」の意味。

 

勝負事は勝つか負けるかはわからない、ですが勝ちたいものです。

勝つためには、勿論全力で戦うので勝ってしまう時は、思いっきり快勝してしまう事もあります。

しかし、武田信玄は、勝負ごとに勝つのは当たり前としても、勝ち方にこだわりを持っていたのです。

五分の勝ちであったら今後も頑張ろうと励みになり、七分の勝ちで手を抜く怠け心が出てくる、そして完勝だと、敵を侮る、おごりがでてくる。

その怠け心や侮りが負ける原因になる。実に深い言葉ですね・・・。

 

戦に勝つということは、五分を上とし、七分を中とし、十分を下とするを日常で使おう

 

調子がいい人に注意を促すときには、非常に良い言葉です。

浮かれてる気分を害することなく、釘を刺すことができるなんて相手も気分が良いですし、周りも「この人なんて大人なんだ・・・」と思う事でしょう。

 

武田信玄はその生涯あまり負けたことがないのですが、負けるパターンは最初に勝っていて、その後周りの忠告を聞かずに突撃⇒返り討ちというものでした。

そんな経験をもつ信玄の「戦に勝つということは、五分を上とし、七分を中とし、十分を下とする」という言葉は重みを感じますね。

 

この言葉は「いつも自分が信玄(当然だが)に及ばぬところは実にここにある」自分の失敗から確実に学ぶ。言葉というよりもう哲学的な感じまで受けます。

 

「慢心」がもたらさない種にも辛勝が大事ですね。競技などで、やっとのことで勝つこと。

 

大勝=10点差以上つけて試合に勝つこと。

圧勝=相手を寄せ付けず勝つこと。

完勝=相手を0点に抑えて勝つこと。

楽勝=力の差がはっきりと出て試合で勝つこと。

快勝=試合展開的に余裕で序盤から点を取りそのまま点が開いて勝つこと。

辛勝=ぎりぎりの試合でぎりぎりで勝つこと。

 

そういえば父が古武道抜刀術居合術)の先生をしていた。その父から言われてことを思い出した。

親に説教されたけれど今となって有難く思える。それが上記の言葉である。「親父の小言と冷酒は後から効く」ものだ。