「諦める」限界と悟り、断念をする」と「想いを断念するという意味で「諦める」がある。

私のペースにしては今回ブログの頻度は落ちた。

その目的が作品制作中や相談がPCで受ける場合に内容によっては非常に返答に気を遣う。 それで作品もそうだが結構時間が掛かる。その間に気分転換に途中に浮かんだことをブログ化する。以前言ったことがありますが、気分転換に深夜の散歩があったが、職務質問を受けたので止めれいる。

 

それでブログの効果は大きい。

 

今回、宗教法人の青年部から公演(座談だが)依頼があった。それでテーマに臨んだ。

今回の都議会選挙についてとか、学校法人森友学園とそれに絡む安倍昭恵夫人を占い、そのお話しとか。占いでは民進党 辻元清美議員などと調べていくうちに、こんな大それたことをするような勢い、運勢なの欠片もない。

 

恐らくはこれは自分以上の事に絡み過ぎた為のことで、其の騒動の渦中に引き込まれたと言えるのではないか。

それよりも遥かに面白いのが、学校法人籠池学園の理事長 籠池泰典氏である。とても在日であり、次回の残しておく。

 

それで公演のテーマが決まった。

それはちょっとしたきっかけだが、えびす家のマスターの言葉である。

いつも日本の居酒屋ではタブーである政治と野球の話し。それがえびす家ではお盛ん、マスターも満更ではない。お客ではカウンターに座る面々にもいらっしゃる。好きですよ!

 

其のマスターは普段そうした内容の会話はカウンター越しに飛び交うが、時にじっと「我慢」する、「呑みこむような表情」をフッとマスターを見返すことで気になっていた。

 

ある時「マスターはいつも会話中(自分以外)に呑みこむように我慢していますね」と言ったことがある。その返事が以外というか、今思えば悟ったような、悟り・そう自分を堪えている。そんな姿は気になって仕方がなかった。

 

その言葉とは「我慢というより、諦めですかね」と言うのである。時が過ぎれば過ぎるほど心んずっしりと重く鉛のように重く残っている。消化できないでいる。

 

それで「諦め」という言葉を公演に選んだ。

それがとんでもない深い深い意味があるのです。とんでもないことに手を出してしまったと後悔した。

 

でも「諦め」は瞬間ネガティブな意味に捉えてしまう。がとんでもない調べれば調べるほど、「自分自身の限界とか周りの状況を受け入れ、理解して、次に進むための言葉」でだから未練を残したままダラダラと引きずるよりもスパッと想いを絶ち切って次に行ってみよう!というポジティブで前向きな言葉だと思うんです。

 

今、日本語で「諦める」といえば、自分の願いごとが叶わずそれへの思いを断ちきる、という意味で使われるのが一般だ。

 

しかし、「諦観(たい(てい)かん)」、「諦聴(たい(てい)ちょう)」といった熟語の「つまびらかにみる、聞く」にみられるように、「つまびらかにする」「明らかにする」が、本来の意味である。そして、漢語の「諦」は、梵語のsatya(サトヤ)への訳語であって、真理、道理を意味する。

 

単に「あきらめる」だけであれば、悔い、怨み、愚痴が残る。ものごとの道理が明らかになった上でのことならば、納得しての「諦らめ」となる。

 

結婚というご縁にあずかった。諸般の事情を考慮してこの辺で「あきらめて」結婚に踏み切るか、わが身をしっかりみつめ、賜わったご縁を「諦めて」結婚するか、そこには大きな差がある。後者であれば、後で、こんなはずではなかった、と愚痴ることも少なかろう。

 

占いをしていると圧倒的にこういう方が多いのです。縁を諦めている人。

 

 悟りを開かれた釈尊は、その初説法で、四つの真理(諦)を説かれたという。

第一の真理は、この迷いの生存は苦である。という現状認識。

第二は、その苦は飽くことなき欲望から生ずる、という原因究明。

第三は、その欲望の滅した境涯が苦のない悟りであること。

第四は、悟りを得るには正しい八つの方法に依るべきこと。である。

 

*ここで注意すべきは、仏教が、我々の苦悩の原因を、我々の飽くなき欲望、我々の無知に帰している点である。ややもすると、我々は、自分の苦悩は、社会が悪いから、あの人のせいだからしょうがないといって、「あきらめる」ことでよしとする。

逆に、それは自分の欲望、無知に基因すると「諦める」ことができれば、現状を受け入れ、解決の方法をみつけやすい。

 

 それでは、この四つの真理に通ずる仏教の根本道理とは何か。それは、一切は相対的な存在でしかない、と諦らめ、執着しないことである。

 

『諦める』って『未練タラタラの状態のまま断念する』とか『途中で投げ出す』みたいな意味もあるとは思うんですけど、「諦める」の語源は。

 

仏教的な所から来ている『物事を明らか(あきらか)にする』『思いを断つ』のような悟りに近い意味です。

 

マスターは「限界と悟り、断念をする」と「想いを断念するという意味で「諦める」があるのではないでしょうか。とても分かるんです。

 

「諦める」とても奥が深い言葉ですね。

これからは、積極的な意味で「諦める」を使うことを意識するといいと思います。

 

こんな分母・分子があるのです。

 

幸福=財 /欲望 どれも多すぎてはいけない。