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公演のお話し。

暦を送っている皆さん!私でも今頃気がつくことがあるんです。 東が吉方で吉方取りも兼ねて仕事に出かけました。心の中では吉方だから、と安心と仕事で何かを期待していました。 それが仕事上で上手くいかない、返ってもめるので気分が悪い、怒りで興奮気味でもあった。

でもねよく考えたんです。冷静になってみると、その仕事の内容からして、たとえ気分が悪くても、興奮しても仕事上から学ぶことがとても多かったのです。 フッと考えましたら、こういうことが本来の吉方という磁場の作用、在りかたであると心底に思うのである。

まだまだ学ぶことが多いですね。確かにと思わず点頭したしまった。

 

 

さて!宗教団体の公演のお話しに戻ります。

 

私の重要な、お得意先は大・宗教団体である。新興宗教ではない、伝統的な団体である。

最初はパンフレレットや機関紙(特に青年部都の関わりが深い)などに絵を提供していた。

{宗教を新興宗教・既製宗教と分けるのは間違っています。宗教か宗教ではないかで分けるべきです」これは普段から特に歴史本(宗教史)を見ているとつくづく思いますね。はっきりします}

 

当然、注文は仏画などが多く、それには文章(説明文など)を加える。その文章が面白いと青年部から公演(実際は座談である)依頼があったのがきっかけで宗教とは全く関係ない内容を要求された(宗教学者や哲学者などの先生が公演をされているので私が宗教論など難しい話が出来るわけがない)

 

その青年部の座談(30人から50人くらいの参加者、だんだんと多くなり今や100人に達する時もある)それに毎回、数人の幹部の方も参加されるようになった。

 

ブログなどの評判を聞いて興味を抱かれたのでしょう。結構言いたいこと、宗教批判すらありで、特に私は先祖を祀るのに日蓮宗であることもご存じである。

 

そして私は聖書を精読して”心はキリスト教徒”である。どこにも所属はしていないですが。

 

先日の座談で幹部の人が居たのですが、とんでもないことを並べて笑いをとったが、何とも言えない表情をされていた。しかし大宗教の”ゆとり”というのか襟度を持されている

 

何と幹部の方の顔色を見ながらも。

歴史を辿ると「宗教家というのは時代とともに生きることはありません。時代からずれているから見えるものがあるのです。前後の時代を見つめることができるのが宗教家です」

 

こちらの宗祖は宗教史本による知識です人としての生きざまが好きですね。そこから出た言葉です。

 

ちょっと!調子に乗って「宗教の果たしてきた役割は、人を救うことではなくて、救われたい状況をつくることだったんじゃありませんか」

 

「信徒が増えれば組織化します。組織化したら、それは信仰じゃなくて経営です」。それは批判ではなく、当然否必然ですが組織としてどう活動しているか、時の権力との関わりとかが問題なんですよね。宗教と政治との関わりは歴史的にみてもいいことはありません。

 

宗教は政治に関わってはいけません。歴史が物語っています。末路も。

 

「信者という字を横に並べて書くと、”儲かる”という字になるのです」「宗教は儲かるんですね」これは大いに笑いを誘った。しかし「組織は肥大化すると経営は大変ですよね」と何と!幹部の方の顔色を直ぐに見たが苦笑い。

 

今や宗教の役割は、この不安定な時代に「乱世には宗教が生き生きするんです」。今はそうですね。

 

私は寓意的な表現が出来ませんのでちょっと調子に乗り過ぎたきらいがありました。

青年部の幹部の方も「先生はそれが面白くてお呼びしているのですから、幹部の方には声をかけていません。自発的に来ているのですからいいんじゃないんですか」と言ってくれた。

 

*宗教のリスクを知るために25歳の若きマルクスが「民衆のアヘン」と批判した。

この内容を次回の公演のテーマにしようかと思いましたが、重すぎて止めます。

 

〈反宗教的批判の根本は、人間が宗教をつくるのであって、宗教が人間をつくるのではない、ということである。

たしかに宗教は、人間が人間らしい生き方をまだしていないか、もうできなくなっている場合の、自己意識であり自己感情である。けれども人間というものは、けっしてこの世界の外にうずくまっている抽象的存在ではない。

人間、それはつまり人間の世界のことであり、国家であり社会のことである。この国家、この社会が、宗教という倒錯した世界意識をうみだすのは、この国家、この社会が倒錯した世界であるためである〉と指摘する。

人間が宗教を作るのであるという至極当たり前のことをマルクスは指摘している。その上でマルクスは、宗教が人生の問題を解決する際に参照する百科辞典のようなものだという考えを示す。

〈宗教は、この世界の一般理論であり、それの百科辞典的な綱要であり、その論理学

が通俗的な形をとったものであり、それの精神主義的な名誉問題であり、それの興奮であり、それの道徳的是認であり、それのおごそかな補足であり、それの慰めと弁解の一般根拠でもある。

宗教が人間の本質を空想的に実現したものであるのは、人間の本質が真の現実性を持っていないからである。だから宗教にたいする闘争は、間接的には、宗教を精神的香科としてもちいているこの世界にたいする闘争である〉