<竹輪とインゲン黒酢甘辛煮。カボチャのソテー(バルサミコ酢で)。高野豆腐の煮物>
昨晩はK氏と暫くぶりにお会いした。彼からの声かけでBACCOで、一緒に鹿肉料理を堪能した。
この日は彼と会うべくして会うという日であった。それは彼と何度か顔は合わしていたが独りの世界を望み、その入り難いバリアで覆い尽くしたいた。
無理もない。今はそうであろうと私も距離を置いていた。でもそのバリアを張る条件の一片でも崩すことを考えていた。それはパンパンの脳みその中を軽くする、整理するそれは身体の柔軟性=精神の柔軟性に繋がると分かっていたので整体を薦めた。
私が左臀部、下肢を痛めそれを治して頂いた整体の先生を紹介した。案の定、身体の恢復は精神の安定性に繋がる。
K氏と会いたかったのは急ぐことではなかったが、もういいかな!という時期になっていたので、やはりそう思っていると会えるものです。連絡が入った。
会うなり「人間は遊ぶ存在である」という言葉を掛けた。
遊ぶとは趣味や遊興、旅行、遊学することではない。「ゆとり」ということである。
ゆとりって難しいね。
「遊びと仕事は別のものじゃない。仕事は遊び、遊びは仕事。それがゆとりのある仕事だ」
他にも物怖じしないこと、自分の夢にばかり拘らない、空気を読むのが得意、仕事よりプライベートを優先する、優秀な人間とそうでない人間の二極化が激しい、など。こんなことを考えてみた。
話の本題は。
K氏と会う度、家の様子、会社の様子を見に行くといつも浮かぶのが女性の姿だった。
素敵な人であった。何だろうか?何故だろうか?と思っていると、同時に可愛らしい女の子の姿も浮かぶがそれはリアリティな事物・人物描写が自然に感じられる。
結局それはK氏の娘さんではないかという確信をもった。K氏に直接聞くとどうも長女らしい。
そしてその女性と娘さんとの縁、繋がりは?と疑問が湧くがそれは「累々たるのが見えた」。
その女性の意識が娘さん誕生と同時にこの累々と実を綴ったのであろう。
聞くところによると長女とは相性がいいらしい。やっぱりなとそこで女性の存在が分かった。
K氏はメールで私に言って来た「予想もしない過去の大切な”甘く酸っぱい宝物”であり、”パンドラの箱”は衝撃的でもあり心が解放された思いがしました」とメールで私に言って来た。 敢えて公開したのは的を射た素敵な表現であったことに感動を覚えたからである。
私もこんな思いがあったことを思い出し、70歳を恐れるよりも一日でも一時でも長生きをしようと健康に留意するようした。
それには食事である。えびす家通いが健診でも何も問題がない。むしろアスリートの数値だとも言われている。
しかしですね、和食であり老人食ですが最近の大きな変化です。