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BACCO地下で食事を兼ね、仕事をしていました。

不動産取引のアドバイスと少しそれに関わるが(投資)。そしてあるオーケストラのオーボエ奏者の方のご相談を受け、メールでのやり取りで食事どころではなく中途半端に終わり、一階へ途中文具を買いの一端は店をでる。

 

帰ってくるとSちゃんが彼といる。忙しくて相手が出来なかったが、それと二人で楽しんでいるところに入ることを避けた。

 

敢えてこうした文章にしたのはその二人の姿に何故かある数字が映し出された。奇妙でその数字が表現は出来ない。何を意味するのか?分からぬままに仕事に熱中する。

 

家に帰って二人の守護霊と私の指導霊の尋ねる。数字の意味は?ブログではそれは公開するものではない。

 

この頃は前妻が突然と事務所を畳んだ。それに不快な出来事それは人と人の関わり、ドロドロとした暗欝な世界。隔靴掻痒の感がぬぐい去ることが出来ない。

 

何かの計らいかそれが指導霊の送る映像には柔らかなようで寂光(じゃっこう) であり、妖光(ようこう)でもあり、怪光(かいこう)でもあり「何やら?」である。 そような光をを放つ。そして「阿修羅」との出会いである。

 

興福寺に阿修羅のレプリカを見る機会があった。

 

興福寺の阿修羅はむしろ愛が湛(たた)えられている。少年とも少女とも見える清らかな顔に、「無垢の困惑」というべき神秘的な表情が浮かべられている。阿修羅は相変わらず蠱惑的(こわくてき)で顔や体には贅肉がなく、性が未分であるための心もとなさが腰から下のはかなさに漂っている。眉の顰(ひそ)め方は、自我に苦しみつつも、聖なるものを感じてしまった心の戸惑いを表している。

 

既に彼ーあるいは彼女は合掌しているのである。といって、目は求心的でなく、ひどく困っている。元来おおきな目が、顰めた眉のために、上瞼が可愛く歪んで、むしろ小える。

これを造仏し天平の仏師にはモデルがいたに違いない。貴人の娘か、未通の采女(うねめ)だったか。

 

私は「地獄絵図の川嶋さん」といわれている。仁王像のような憤怒のお顔が得意で何故、阿修羅を見る機会を得たかというと。改めて。

 

阿修羅

(あしゅら、あすら、असुर、asuraの音写、意訳:非天)は八部衆または二十八部衆に属する仏教守護神である。修羅(しゅら)とも言う。 大乗仏教時代に、その闘争的な性格から五趣の人と畜生の間に追加され、六道の一つである阿修羅道修羅道)の主となった。

日本語では、争いの絶えない状況を修羅道に例えて修羅場(しゅらば)と呼ぶ場合もある。激しい闘争の行われている場所、あるいはそのような場所を連想させる状況を指す

 

詳しくはもっと深い内容であるが到底私には当時の仏師の技術は及ばない。全くこうした発想すらない、浮かばない。生半(なまなか)な心得では太刀打ちできない。

 

まさに蠱惑的で両性的な姿態と私は受け取った。男を蠱惑するまなざしと言うのではない。

 

実は不思議な行動を取ってしまった。

阿修羅像(実際は相当、写真や実際にも一度だけ見たことがある。随分と講究したが、阿修羅像の前に差し掛かった時、ことさら立ち止まらずに歩いた。像の畏怖の力を意識しながらも、一見無視してゆくということの贅沢さを味わった。

 

そうは言いながら他の昂(たか)ぶりを感じた。暫くして動態の己が心(意識)は阿修羅像の前で静態したままである。

 

暗流、表面に立たない不穏な動きを感じる。むしろ「善と悪を綯い混ぜにしたのが人生」

 

仏画に携わる身として。興福寺は大陸の影響なのか。ペルシャからインドの香りがする。

 

薬師寺を建てた指導者は朝鮮半島経由ではなく、むしろ大陸から直接来たか、又は大陸で勉強して帰った技術者達である。

法隆寺の方は朝鮮を通った百済系の指導者ではないかと。