意識のバリア、解いた人、張った人。頑固者は如何ともしがたい。

f:id:bunsanjp:20170101191733j:plain

31日大晦日、朝から6時に起床し惨めな気持ちであったが、何と今朝又6時に起きて普段通りの土曜日、日曜日であるからなのだがボランティアである知的障害のあるお婆さんのお世話に向かう。

 

本音は一番ゆっくりしたいのがこの大晦日、元旦であろう。

それが何と罪深い私に科す 神の御業 」なのであろう。

寒さを押して自転車で突っ走る。普通の家庭ならば温かい部屋で家族団欒というところであろう。

 

何であろうか、こうした事を科せるのはと、ボランティアで向かう途中に神社があるのだが、せめても初詣と行こうかと鳥居の注連縄(しめなわ)を潜るだけで頭にドカッと打ちのめされるというのか不快感ではない。

 

そうだよな。注連縄は(神前など)神聖なものと不浄との境を示して張っているのだから。

 

御不動様、おやおや!(失礼しました)不動明王であった。まるで「ご苦労さん」と、でも言っていらっしゃるようで、あの憤怒のお顔が妙に優しく映った。

 

そうだ!私は日本では不動明王にご縁があるので、「惨めになるな!なかなかやれるものではない」と慰めてくださっといると解釈をしたら、元気が出て颯爽と自転車を力強くダッシュする。

 

不浄なる思い、暗欝な重い心のお荷物を取り除いて下さったので軽くなった気がする。

 

帰りに、こうなるとその近くのお寺迄が気になる。そうするとお寺から日没のお経が聞こえる。日没偈(にちぼつげ)である。

 

惨めと思っていた大晦日と元旦の過ごし方が何と神々しく、清々しい気分になっている。

ちっとも惨めではない。そんな強がりではなく気分が良い。

 

御不動様には尊敬する余りに馴れ馴れしくしないとは心掛けているが、「敬して遠ざける」ようにはしないとこうして自分の都合の良いような想いが募る。

 

しかしこの時期に不動明王に出現はもう一つ仰りたいことに気が付く「前非を悔い改める」といったのがこの時期の神の計らいであろう。

このところ私が「意識のバリア(守る意識)」をお二人外した。それで体力が続かなかったが負担が減った。救いはいまだに感謝の気持ちを持っていてくれる方々である。

 

新たにお二人にその「意識のバリア」を張ることになった。それは仏教的に言うと「結界」である。魔障を入れないようにした一定区域を張ることである。

 

結界は真の能力者が張る強力な結界は、悪霊や厄災を含む、あらゆるネガティブエネルギーからその対象を守り、空間を清浄に保つ効果があります。

その効果を実際に体感できる場所としては、東京で言えば皇居、全国区で言えば伊勢神宮(私は出雲大社と共に強力にはすすめない)が有名どころでしょう。

 

結界とは、特定の人や場所に対して、聖なる域と俗なる域を分ける区域の事を指します

。聖なる域とは浄化された清浄な空間であり、俗なる域とは未浄化な不浄な空間です。

 

結界は時に、オカルト的な扱いを受けますが、神社仏閣などでも実際に体感する事が出来る、今現在も有効な方法です。

 

*ちなみにここで扱う結界とは、エネルギー的な仕切りをつくることで、霊や邪気などのネガティブなエネルギーの干渉を受けない状態を目指します。

 

 こうした私流では「意識のバリア」と言いますが、仏語では結界です。 こうした説明は相談者、バリアを張る方には説明しています。

 

結界を張れる能力者は、稀でありまず出会えないでしょう。非常に難しい伎倆でもあるのです。

 

以前お二人、今回女性がまだお若いし自分のお考え頑固に通すといわれたのでバリアを外しました。ただ救いは感謝の気持ちはお持ちである。感謝なくして幸せは掴めない。絶対に。「感謝」という温かい衣に包まれているから安心なのだが、頑固は”かたくな”という意味もあります。

 

「頑固者」と「芯がある人」の、決定的な違いとは頑固な人は、ある物事について「こうだ!」と決めたらそれしか見なくなるんですよね。つまり、色々な可能性があったとしてもそれに耳を貸すことがないんですよね。

 

頑固って、ストレスを溜めやすくなってしまう…

頑固って、ホント損です。

話を聴けない分、失敗しても気づきにくいですし、気づいたとしても「プライド」が邪魔して傷口を広げやすくなってしまいます。

 

とにかく、人の話を聴くことから始める。

こういう状態にならないためにも、普段から人の話を聴いたり、視野を広げたりしておくことは本当に重要です。

 

でも多いんですよね。頑固者は。プライドだね。捨てちゃえば軽くなって人生が開けるのにね。