アンニュイといわれる近代的憂鬱感の時代の出会いと、人種のるつぼに思う。

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<私を指導して頂いているガブリエル天使>

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<キリスト誕生の時真ん中奥にいらっしゃるのがガブリエル天使>

*ちなみに私はキリスト教徒ではありません。

私もそうだが、「人は皆淋しがり屋」というのを。折々見かけるのだが、人間は孤島で一人暮らししている人でも、物資をいろいろ運んでもらっています。つまり人の作った何かを頼りに生きている。 戦後、山中に逃げ込んで何年も生き延びた日本兵がいますが、それでも全く一人で生きていたわけではなく、必要なものは近くの村から盗んだりしていました。一人でいる引きこもりさんも、電気やカップ麺がないと生きていけないでしょう。

 

単独行動を取る動物などがいます。人間は単独行動でも生きれると思うのですが・・・・ ミジンコは一匹いれば1ヶ月で数千にも増えますが、人間は全く一人では生きてはいけません。自分で家を作り、食料を作り、するにも人から伝え聞く技術を学ばなければできません。単独行動をとろうにも他人が長年培った知識がないと行動できないのが人間です。

 

と、まさにそう思う。その人間の本能を見ることで人は合従連衡(そのときの利害に従って、他と結びついたり離れたりすること。また、時勢に応じて巧みに計略をめぐらす政策、特に外交政策のこと)の姿を垣間見える。 (ふとしたことから、ちらっとその人とかモノの本質がのぞける)

 

実に人間の本能行動は面白いです。他人の行動を見て自分にも照らし合わせてみても、それは人間がアフリカの動物の集団行動を見ているようで面白い。その草原に人間も存在して眺めても面白い。まるでハマっている。

 

でもその人間集団は同二つ以上の項であり、比喩的に、同じたぐい。仲間。類項である。同類項というのかな。

 

自分は単独行動が多いのだが、我儘で気遣いが面倒なだけ。女性も限られる。我慢のし甲斐のある女性に限る。まあ!男性のも言えるかな(学ぶべきものが無い人は付き合わない)だって!時間がないし、あと残され時間はほんの僅か。

差別的な発言ではない。現実である。

 

店など見渡してみると私の幼い時からの変人たる所以であるが一人一人映像が浮かぶ。

それは後光(オーラ)というのか分からない。年を経るの従ってその光の色、形で人の精神性(敢えて”魂”という)その魂の質が分かる。

 

温かい優しい光の人、青い冷たい光の人。言葉では出ないが野心家、深謀遠慮の人、奇計を用いて敵の不意をつくような殺気を感じる人。男女の区別なくそんな人々の、敢えて言えば人種の坩堝(るつぼ)が店には漂う。それは私の持論であるが、オーナー(経営者)がいて(存在感を感じる)、客との緊張感がないのはよい店にはならない。とはいえない。

 

この「坩堝」という表現はえびす家のマスターの言葉で実に最近気に入ってる的を射た言葉である。坩堝も”味”に変わって育っていれば「心地よい店/安らぐ/癒される」店といえるのであろう。

 

でもあるんですよ。無きゃいけない。そういう店は絶対に言えることはオーナーと客の間に緊張感は絶対に必要なのです。

 

店でいろいろな人種を見ている。私は陰陽師として人を扱う。

でもオーナーはある意味私よりも人を見る目が鋭い。的を射ている。凄いな!

 

正直、私が陰陽師として相談者とえびす家を使うが、相談者を見る目はマスターの意見が鋭い。的を射ている。納得をするが必ずそうなるという目を持っている。

数え切れない人を見てきている。その浮き沈みを見ている。そのデータ、経験値がそういう鋭さを培っているのでしょうね。そして克己心、自分の欲望をおさえる心。自制心がなせる技でしょうね。

 

ちょっと戸惑いましたが、えびす家のマスターが私より先輩であり、人生経験も豊富、この方は商売では人と接しないのは十分わかっている。

 

その方から「川嶋さんのような友だちが出来たのはよかった」と言ってくれた。正直戸惑った。面が強面、見るからに他人の好き嫌いがはっきりしてそうなので、喜んでいいのか、足がすくんだ。

 

最後に二十数年ぶりに私に世界を理解、共通する方と出会った。それはTご夫妻でその出会いまでの歴史を語ると尽きないのですが、見えない世界、次元の違う世界(四次元)宇宙大の世界の話の出来る人。ご夫婦でも奥様なのですが、またご主人が面白い(興味あるということ)ここでは長くなるので敢えて語らない。

 

恐らくこのアンニュイといわれる近代的憂鬱感の時代に天使(メシア)が”今”出会いを仕組んでくれたのでしょうね。心が軽くなった。