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10年間続けるボランティア。節目に思う・

風邪も癒えて、毎土曜日、日曜日にお世話に行っているお婆さん、辛いが5時には覚醒し かけっぱなしのラジオから「NHKニュース」が流れるのを聴いて、6時には目覚めて意識が徐々に頭から身体全体に血液の循環がスムーズですとパット起き上がる。

そうでもないのは前日の酒の量次第でアある。さあ!洗顔、口腔ケア、シェービング、服薬、仏壇に向かい祈りを捧げる。

 

コーヒーや軽い朝食をする意欲もないので早めに家を出る。南に向かうので方位が悪い日には近くの公園の日当たりの良いベンチを探して時間調整をする。そうして自販機でコーヒーを購入、それを飲んで東から西へと方位の変更、方位除けである。

 

要はせっかちで慌てん坊、余裕をもってそこに向わないと落ち着かない。新聞を広げ、もしくは読書をしている。暑さ寒さなどなんのその。(公園しか適当にくつろげるところがない) それから五分前には必ず到着。玄関で待っているお婆さんに顔が合うと手を振ったり、挙げたりと来たよ!と合図をする。言葉にならない挨拶が返ってくる(70歳後半であるが親が知的障害があるので学校も行かせていないのであろう。会話が成立しない)

でも私は10年の付き合い、ほぼ通じるので近所の方、スーパーなど通訳に徹する。不思議に分かっちゃうんです

 

本当に言葉にならない。「おはよう!」「有難う!」「気とつけてね」という日常的な会話でもアヤフヤで何とか分かるのですが、独特な世界です。

 

ですから過去には誤解も生じた。そういう方ですからこだわりも強く、食器の置き方などなどなど。私などは何故か「早い!」と言われ、何が何だか分からずとうとう気が付くと血圧測定の時、同時に体温計を脇につけることが違和感があるのだと気が付く。それはその方の世界では一つ一つなのである。

 

入浴が終わっても直ぐにお湯を抜いてしまうのが気に入らなかったらしい。「早い!」という。

 

入浴介助でも私は効率を重要視するが、その方は浴室に足を延ばせない。座るのである。ですから背中が出るので最初から終りまで桶で背中にお湯をかけ続ける(背中が真っ赤になるまで掛け続ける)

 

全身清拭で洗髪とタオルで身体はご自身で拭くが拭ききれないところは介助する。

 

他のヘルパーさんから嫌われたことは私は入浴後タオルで仕上げをするが、その時耳をも拭くのだが、それが気に入ったのか、不明確な言葉で「私は耳をしてくれる」と要求したのでしょう。それもこだわりです。

洗濯をし、干し、浴室の掃除、トイレ等など他のヘルパーさんは掃除機がけをされているので私は雑巾がけをするようにしている。

 

昼食の準備、それは何ということなない。慣れているから冷蔵庫の食材を見て調理をする。

因みに今日、日曜日はオムレツであった。

食器洗いもわざと事務処理をするようにし無視、ご自身で食器洗いをしてもらうがその食器を扱う音がけたたましい。コントロール性に欠けるというのか丁度よいという物の意識がない。ドアーの閉める音もそうである。バシーンである。

 

一段落すると洗濯機がブーッと終了の合図、それも洗濯物を畳んでもらうようになるのは数年かかった。

今はわざと手伝わない。畳んでもらうと干しは私がやる。それはちょっと危険というか70代後半の方には危なっかしい場所なので私が干す。それから浴室の清掃です。 最後にゴム手袋をはめ、手、水虫の足に軟膏を塗布という作業であるが、何しろ真冬でも靴下を履かない、手足が「しもやけ」になるので軟膏塗布があるのです。

 

こうして10年のお付き合い。私はこうしてボランティアを続けるのはご縁でもあり、それを続けることが自分がリセットというのか、罪みたいなものが減罪されているような気持ちになるのです。重しが一つ一つ軽くなっていくような。

 

こんなことを具体的に公開するのは本来はタブーです。但し名を明かしていないので極々一部の方しか分かりませんからね。

 

出来得る限りは続けて行きたいと考えいます。