オカマに間違えられるた思い出。

私はフランスのオカマのデザイナーで名前、ブランド名は忘れましたがその服が好きで普通の方は着ないでしょうね。何しろ変わっています。(私はそうは思いませんが)

 

それを着ていると私自身がオカマによく見られます。私は大いに差別であると憤りを覚えます。「恐らくこの性差別は男が子供を産むようになるまで無くならないと思う」

 

それで私がオカマにされたお話し。これは宗教法人の青年部の公演(座談)でお話し大いに笑い、好評でした。

 

尾山台に素敵な居酒屋があったのだが、そこでの出来事です。(ノースキャロライナの恵子さん、分かるでしょう!こんな事があったのですよ。自分が悪いのだけど犯人は黒ちゃんです)

 

場所柄、自由が丘、田園調布が近いから客筋はとても良い。医者、会社経営、学者、サラリーマン風でも一流企業でプライドも高い、目立っていた私には表面上は穏やかでしたが、あるきっかけで本音を窺い知ることになる。

 

いつも、行くたびに服が違う。

お洒落の究極は性別を飛び越えて中性化に進んでしまうのです。オートクチュールは最先端をいっている訳ですが、それは極端にファッション的であり、熟れて街へと一般に拡がるのですが、その走りを一部でも取り入れ、そうした場所へ着ていく訳ですからそれは一般の人々は職業柄と承知していても違和感を覚える筈です。

 

特に私が失敗の原因は女性を伴わなかったので、女性を好まない男性と思われたのでしょうね。

子供も二人いることも言ってはいましたが、両刀使いという人もいますからね。

 

女性を伴わなかったのは、単純です。面喰いで、やたらな女性を連れて行くくらいならば、仕事以外は全く無かったのが、そうした誤解を生んだのでしょうね。こういうところだけは見栄っ張りなんです。

 

もう一つ、そこにはボスが二人、若いボスは私と同い年、その方の方が古い、一流企業の部長さん、もっといけなかったのはマスターに私が可愛がられマスターの前の席に座らされたのだが、その席が彼の本来の席だったのである。後で知ったのだが「マズイ」

 

因みにマスターとは同じゴルフ場のメンバーで研修会で先輩でもあった。それで可愛がってくれたのである。同じハンデキャップ「6」であった。

 

それにゴルフも災いした。その居酒屋でも子分がいた。仲間といった方がいいのかな。この親分より優れたものがあることが面白く無かったのでしょうね。ゴルフなのですが、マスターが何だかんだと私を話題の中心にするので気分は良いが、後に後述のようになってしまったのは私も責任がある。気が付かなかった。

 

結局、私の裏で噂話しで、ご親切な方が私が「オカマで変態」ということになっていると教えてくれた。それも彼の子分。に言わせたのではないか。一流企業の部長でも人間性は別。

 

それだけ邪魔だという事を悟った。ならばという行動を取っただけ。

正直で良い。民間企業人はやはり人間的に練れている。怒りは怒り、気に食わないのは気に食わない。かえって爽快でした。ジメジメした真逆な人間よりは良い。

 

ですからショートテンパーな私がぶっ飛ばしませんでした。

 

それだったら、仕方ないと引き下がった。自分の世界を理解してくれとは言わないがある意味押し付けていたのだろうとファッションでもバランスです。周りとのそうした意識は必要ですね。

 

「過ぎたるは及ばざるが如し」何でもほどほどが大事。まだ今よりは若かった。良いものは良いとは大きな錯覚。

 

そうした経験は今に生きているが、それでもね、毎回お洒落しますから周りは奇異の目は感じることがある。仕事上、お洒落は看板、仕事を受けるにの必要不可欠なんですが、企業、学歴など自分も看板にしているのに、ただ宮使いと個人企業の違いだけです。

 

この人もゆっくり話をしたら理解してくれる器の人だろうと今となっては思う。

 

役人の錯覚よりは柔軟性があるであろう。プライドが高く、頑固はどうしようもない。自分の量(かさ)が分からない。国という錯覚の中にいる限り。叔父達(国家公務員)がそうである。

 

でも上手い言い訳、説明を覚え、それを使っているが「アーツ!なるほど」という返事が返ってくるような言い訳を多用し、良い叔父さんに成長しました。

 

今は華美は極力意識し避けるようにしています。

 

「経験を積んだ人は、物事がこうであるという事を知っているが、なぜそうであるかということを知らない」

 

「経験は最良のの教師である。だだし授業料が高過ぎる」

 

「人間が賢くなるのは、経験によるのではなく、経験に対処する能力に応じてである」

 

「経験とは、人々が自分の愚行と悲哀に与える名前である」

 

 

添付ファイル