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若気のいたりで出来た娘が訪ねてきた。既に50歳を過ぎた。

たった今、ドアーのベルが鳴った!

嫌な予兆はあった、自分の今の姿(生活ぶりに)に違和感(何か違うんじゃない)というそうした気鬱がいつも、毎朝、黙想(瞑想をキリスト教では)の度にあった。

 

私は公式には子供は二人なのですが、若気のいたりでもう一人子供がいる。

それは既に50歳なのだが子供が二人女の子だが、母子家庭で数年前に医者と再婚した。

 

経済的には困るはずもないのだが、ご主人は関西で病院を営むが娘E子の子供(二女)が一人住まいなど生活に変化、長女は同居であるが、今までは母親に頼めたのだが、既にそういった歳(美大で同級生)ではない。

 

ご主人には遠慮があり、子供の経済的な負担ことで訪ねてきたのである。

 

暫くぶりに話しこんだが、ご主人には頼べは援助してくれるであろうが、と言う。

がこの娘E子はそそういうことが出来ないという人間性なのである。

 

出来るだけ協力すると、毎月、娘(孫になるのか)の洋服代という名目で援助することになった。僅か数万円であるが、それでも助かるという。

 

こうなるとゴルフだ、飲食だと贅沢は出来ないな。とか要するにほどほどにと考えなさいという、上の世界の方の諫言であろう。

 

不思議なものである。

自分の生活に頭ではわかっていても身体が無意識(嘘!淋しさから)に外へ目が向き動いている。

体調にも影響してきている。今晩などはいつもであるならば何処かに出かけているが、とうとう「胃」に来た。

 

冷たい物ばかり飲んでいたことによるものであろうが、この数日は昨晩とともに実に質素倹約といった姿勢でつましい生活をしている。実に!

 

予兆といえるのか、そんなときに娘E子が訪ねてきたのである。

 

眼の前に座り、話していると思わず目線は「手」にいった。

手こそ人間の証であり、暮らしの象徴であり、悲しみの主役であると考える。「辛いんだろうな!話しの奥にはもっと複雑な思いが潜んでいるのだろうな」と。

親とはいえ縁が薄いE子は一生懸命に子育てをしている。よっぽどであったろう。手が気遣う思いを超え、現状を語っている。それ以上は訊ねられない。資格もない。

しかし若気のいたりとはいえ母親の若いころの面影が映っている。「知的で意志的な容貌」である。母親の実家も医者であった。元気でいるのかとは訊ねられなかった。

 

帰った後の鬱々とした気分はまるで「車輪の壊れた荷車」のようにうまく進めない、つまずきながらの自分の姿であった。

 

静かなこの数日、死んでいることは愛され慈しまれることを意味し、一方、生きていることは顧みられないことを意味するような気分、天候が一層そうさせた。

 

情けないとは、数日前、古い相談者の対し、男女関係のおいて「倫理」なるものを説くなど偉そうなことを言っている。

 

相談者Sさんの相手の男性に対する真意を汲み取ると、「偽」と言う文字が浮かんで、相手の男性は私が「冒涜」呼ばわりし峻拒した相談者であった。偽った交際が続いている。

 

その方が偽ることは、られる人間よりも罪深いという意味で諫言した。

「倫理」の基本は、積極的に「善」を為すというより、むしろ消極的に、「悪」を為さない、と言うところにある。

 

むしろ片言隻句が聖性を帯びる。

 

このお二人は相性は良い。それはあくまで占いの世界であるが、相性とは何でしょう。

他人がうらやむほど仲のいい夫婦がいます。

価値観の一致、経済感覚の一致、共通の趣味、一緒にいて飽きない性において「相性」いいという状態なのでしょう。

 

私は重要視しているのは古い相談者には相性も大切だけど、「シンパシーも必要である」と言い続けている。シンパシーとは、「同情、共感、共鳴」と言う意味ですが、日本では同情というよりも、共感できる。あなたの考えが自分にも通ずるところがあると使われている。

 

Sさんの男性に対する接し方、考え、その罪深さを意見したのである。

これが私の二重の姿である。二重国籍ではないですが、二つの世界で生きています。