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衰運期は慎ましやかに。

最近、言い過ぎ、やり過ぎが目立つ。それによる失敗談の多くが反省と後悔となって心の傷にもなっている。

 

それは前回のブログで書いたが、己が衰退期の入り口にある事に気がついた。それによる現象でもある事に気がつかされた。

 

 私にこうした活動(陰陽師として)を知っている人は勿論、相談者、弟子、E店かごく僅かであるのだが、弟子からの質問の「天国と地獄は存在するのですか」「霊魂の存在」などの中に「肉体が死んでも、魂は死ぬことなくそのまま体外に出て、一体何処に行くのか」とそんなこと内容にの会話が多くされていた。

 

そうした会話は場所と人をわきまえないと非常に危険であることにも気がつかされた。

言い過ぎ、やり過ぎは何かの警告でもあり、戒めとも受け止めなければならない。

 

世の中に唯神論、汎神論(勿論、魂だとか死後の世界だとか)が社会の為になるのではないかと真剣に考えるのであれば、他人も伝わる言葉を持たなくてはなりません。

 

言葉の力を過信するのも危険ですが、言葉を軽んじて神秘体験などを盲信するのも、されるのは更に危険である。

 

こうした世界の中で自分を表現するには、自分勝手に叫べばいいというものではありません。叫びを、旋律にのせ、言葉に置き換え表情をつけ、身体動作に移行する。少し古い言葉かもしれませんが陶治することが肝要かと思います。

 

蛇足になるかどうなのか、この「唯神論」というのについて若干説明します。つまり全ての物事、現象は神の力があって成り立っているのだと考える考え方、思想です。そのような思想は危険思想だと思うのも又そう思う心の奥に働いているのが神だという風に考える思想なのです。

 

では「神」とはとなる次回によく勉強しておきます。

 

この文章をB店(肉を食べたかったので)でノートPCに向かって(食べながらと行儀が悪いが)いると御隣の親子?なのか、女性がとても大きな声なので落ち着かない。

 

文章を書き終わり、早々に引き揚げ、1階のB店スタンドに逃げ込む。

そうすると久しぶりに会った男性がこれまた、お喋り賑やか声がでかい。そこへY君がやってきたので救われた。が、こちらの会話に入ってくる。

 

そこへその人を挟んでT君が入ってくるが、大人の対応をしている(それが息子より若いが私なら疲れる)

T君は一目を置いている。映像の仕事(経営者)をしているのだが、Y君に引き会わせたかったので間をおいて飛び越えて、露骨(この世で一番性質が悪いのは馬鹿と鈍感な人間)にY君を紹介をする。

 

それでも間の男性は(、)偏見だが又会話に参加してくる。それでも一生懸命に話しを合わせようと努力をしているが、浮いている。

 

上述の言い過ぎ、やり過ぎであり、衰運期を意識して気持ちを抑えようとしている。

 

映像の仕事をしているT君がいるのでゴルフスイングのビデオを示すとテクニックを指導してくれる。当然ゴルフの話に進むが「出た!」私の悪い癖。

 

ゴルフ好きなので話に乗ってしまう。自分が見えない。

バブル期小さい会社を負けず嫌いの見栄っ張りの私が無い力(実力以上に)見せようと、羽をいっぱいに広げ、頑張ってしまう。

 

言う必要のないのに格好つけてしまうのが私の悪い癖。家に帰ると首を振って「駄目だ!駄目、駄目」と反省をする。嫌な性格でバブル期の自分の姿が浮かぶ。

 

衰運期の相応しい、否、自分の器を自覚して慎ましやかな姿でいたい。

 

もう一つ驚いたことがあった、帰ってくると仏壇の写真が全て倒れている。何をご先祖は私に問いかけているのか。この時期「慎ましやかに」ということと受け止めている。