足の綺麗の女性を追いかけて見たこと.

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えびす家の帰り道、いつも通りは家までは30分のウォーキングである。 丁度よい、少なくもなく、適当に身体には厳しく鍛えるのにいいのだろうと何年も続けているが、快眠、快便には相当なものである。

 

そのルートではいろいろなドラマがあり、前妻との出会い等など。健康の為とはいえ、出会い等偶然という期待もある。

 

歩いていると、前にショートパンツの色白でスーッとした足が何とも色気があるので、思わず自然に後追いしている。最初は年寄りのいやらしい目、歩調は同じですと追いつかない。それに気がつくと歩幅を広げて追い付こうとする。

 

でもね!殆どは顔を見ると殆どがガッカリするんです。期待と不安で追いついて振り返ると!彼女も携帯を掛けながらだったので突然振り返り、顔が見えない。 でもしぶとく顔を拝む。 やっぱり、期待ほどではなかった。スタイルからのイメージより平凡であった。

 

最近、小中学の女の子が足が長く、小顔で外人並みにすくすくと育っている。 実に格好いい。私の時代の畳の生活からですと膝が出ていてO脚なの、でそんな娘を見入ってしまう。 皆(男女)が綺麗で格好良くなっている。

 

しかし外人(主張がある)のようにと、私の時代のアイビーリーグのVAN,JUN,エドワーズの時代はそれなりに個性があった。与えられたファッションでなく、工夫や考えたお洒落をしたような気がする。

 

今は私の記憶や知識の中では、人(都会人/現代人)という精神的類型は自分自身で決まりをつくってその中で窮屈そうに生きている人柄のように見える。

 

同じような顔(化粧)ファッションがのびのびしたものを感じられない。決まりの中で生きていたほうが安心でいられるような気がしてならない。

極端に言うと底が浅い人間が多くなっている。力量が見透かされる程度のもので大して深みがないという意味です。

 

ファッション業界と細い関係であるが楽しい。何かに「身ついたものは一生の仕事」という自覚が目覚める。

 

若いファッション業界のスタッフと話をするが、彼らは一応に個性的に見えるが、話すこと、内容は無難で際立った人が少ない。

 

企画会議でも少し個性が見られるデザイナー、営業はいるが、私の発言に引いてしまう。まず表情ですね。表現の世界が形になるのだから「表情は言葉の宝庫」といきなり発言し、スタッフの顔色を見るが20人に一人居ればいいかな。

 

天皇のお気持ち」を丁度TVで大画面で渋谷の街頭の表情が映っていた。その時の人々の表情が印象的であった。若者も真剣な表情、女の子も「天皇様が可哀想!」と言っている。 会議の席で「天皇のお気持ち」をいきなり尋ねると、殆どTVか新聞で見ているとのことは驚いた。しかしこれがファッションに結び付くというと黙っちゃう。景気=人心ということとの関係性が理解していない。

 

でも、現代っ子は”怖めず臆せず”堂々と自分の意見を述べることがないのであろうと、一通り顔を見まわし私の役割を終える。これがファッションアイデアにも繋がる。

 

たった足の綺麗の女性を追いかけて見たことで今を感じました。