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「老い」を考える。ヘレニズムもつガンダーラ美術を好む。

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<ガンダーラ美術>

 

私はどう!どこでも!人との話題の中に触れる機会が多いのは「私は69歳なんですよ」「えーっ!若いですね。お歳には見えませんね」実は若いを言われるのがうれしいからではないんです。

 

ただ「我々のうちに存在する。生と死、醒と睡、若と老」この全て同一であることの意識をしているんだ。こんなことに気がついたからなのです。

 

本当に老化は、夢も見ず、自分の可能性にも見切りをつけたころから始まるのです。私は大丈夫だ。いつも意識もし、夢もまだまだ一杯あるからだ。

 

人間に対しても知識が深まってくる。知識に対しては貪欲である。老いの楽しみでもあるからだ。

 

特にこうした意識や夢は老人になった時、見せるべきものが持っているのか、語るべきものを持っているか、伝えるべきものを持っているのか。そのうち一つでも持っていればいいのです。

 

論語をひねった面白い言葉がある。

「われ四十にして初めて迷い、五十にして益々迷い、六十にして迷いを極め、七十にして迷いを楽しみ、八十にして迷いを悟り、九十にして迷いを終わり、百にして迷わず」

面白いですね。蘊蓄があり、的を射ていて思わず頷いてしまいます。

 

まだありますよ。

今の私がそうなりそうなので笑いもあり、鬱々たる気分になりますね。

「今日が何日か言えなくなったら小ぼけ。今月が何月か言えなくなったら中ぼけ。今年が何年か言えなくなったら大ぼけ」

 

ただ思うことは、人(老人、私も入るが)は老いては口別嬪(べっぴん)になるべき、年をとってもそばに人が寄ってくれる。

 

若い時は人間はいかに生きるかということを考えますよね。年をとると、いかに生きるかではなくて、いかに死ぬかということを考えるようになりますね。

 

今回、不思議ですね。相談者がそろって伊勢神宮の参詣に行っているのです。

そうだ熊野神社も。以前にSさんが行かれて身体に影響があったのはミステリー方位の西に向かったこともありますが、私はこの神社の成り立ち(中国の街角にある小さな祠が由来)、歴史に翻弄されたり(時の権力に。そしてご神体が存在しない幕府に持ち去られる)などなど古神道の歴史を辿ると日本人の宗教観というものも実に興味深い。

 

思わず行かれた方々の運気とミステリー方位を一人一人見てしまった。

インドはヒンズー教があり、カースト制があり、衰弱しました。釈迦が仏教を起こしたのではなく、ただ一人解脱を説いたにすぎず、文字や言葉で説明しなかった。

 

非常に形而上の高い仏教が北上しパキスタンアフガニスタンに住んでいたアレキサンドロス大王の子孫がヘレニズムを持っていて、つまり人間とそっくりのモノを作れる彫刻家がいました。彼らが仏様はどういう形だ、と絵画や彫刻でしてみせた。(ガンダーラの発祥) それが仏像の始まりでそれが仏教と仏像がに中国を経て日本に向かって歩き始めたのです。

 

本来日本には宗教(キリスト教のような啓示をもって教義あるので、らしきものは親鸞、否、蓮如浄土真宗からでしょう)というものはないのです。伊勢神宮は中国の街角に小さな祠(ほこら)があり、それを真似て白木で大きな建物にしたのです(権力者か修行僧が利用)。お地蔵さんと同格です。

熊野神社宮司は日本の天皇家より歴史が古いのです。

 

ただお地蔵さんもそうですが、人の思いが強く神社内の想念の塊(かたまり)があり、いい想念でしたらいいのですが。その壮大で荘厳な建物に威圧されていますね(浄土真宗の建物も同じ目的で荘厳で威圧的です)

 

説明不足ですが、歴史の翻弄され権力に利用されたということです。