御宣託を託宣する。

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<科学>

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<工学>

今朝は朝からルーティーン、梅雨の影響といえることもあるので洗濯物が溜まってしまった。 忙しく狭い部屋の障害物を避けながらスイスイとは行かず、あちこち身体をぶつけながらもルーティーンは成立する。

 

それも足取りが疲れているので覚束ないことに腹立たしく、時にはその物に当たり散らす。

何と大人気ないとは思いながら「老いというのは子供に帰るんだよ!」などと自分に言い訳をしている。実はまったく成長していないのだが。

 

老いに対する続きですが、カラオケボックスにはmobileを忘れてくる。物を無くす。

困ったものだ!と呆れる気分から、諦め、それから嘆かわしく、悲しくなる。

 

シルバーの指輪は惜しかった。希少価値(レア)があり、値段のつけようが無い代物であった。流しに落としてしまった?

無い!まだまだある。銀行の通帳は無くしたりと70歳が目の前のあることの恐ろしさである。

 

金曜日はK氏とえびす家で会ったのだが、この日はこんな日が時々ある。特段、酔っていた訳ではないのだが、Tさんとはどなたかにこの場を設定され、会うために前日には瞑想中の言葉(御宣託)がしっかり出てくるのである。

 

それは「科学が生まれると工学が生まれる」Kさんの会社に関わることなのかと、思わず書き留める。

そこで「精神性とは、あらゆることに対して探究しようとする欲求ではないか。宇宙のこと、神のこと、彼の気持ち、商売のこと、何でもです」

 

科学者はあるがままの世界を研究し、技術者は見たこともない世界を創造する。自然界に存在しなかったものを創造するわけである。

 

工学とはエネルギーや自然の利用を通じて便宜を得る技術一般をいう。

 

工学は大半の分野で、理学の分野である数学・物理学・化学等々を基礎としているが、工学と理学の相違点は、ある現象を目の前にしたとき、理学は「自然界(の現象)は(現状)どうなっているのか」や「なぜそのようになるのか」という、既に存在している状態の理解を追求するのに対して、工学は「どうしたら、(望ましくて)未だ存在しない状態やモノを実現できるか」を追及する点である。或いは「どうしたら目指す成果に結び付けられるか」という、人間・社会で利用されること、という合目的性を追求する点である、とも言える。

 

*工学は科学と全く異なる。

科学者は自然を理解しようとする。技術者は自然界に存在しないものを作ろうとする。技術者は発明を強調する。発明を具現化するには、アイデアを具体化し、人々が使える形で設計しなければならない。それは装置、道具、材質、技法、コンピュータプログラム、革新的な実験、問題の新たな解決策、既存の何かの改良である。設計は具体的でなければならず、形や寸法や数値が設定されていなければならない。新しい設計にとりかかると、技術者は必要な情報が全て揃っているわけではないことに気づく。多くの場合、科学知識の不足によって情報が制限される。そこで技術者は数学や物理学や化学や生物学や力学を勉強する。そうして工学における必要性から関連する科学に知識を追加することも多い。こうしてengineering sciences(理工学) が生まれた。

 

科学的手法と工学的手法にはオーバーラップする部分がある。工学的手法は、科学的手法と、科学的に厳密には解明されていないが過去の同様の事例から確からしいと思われる経験則を組み合わせたものである。しかし、いずれの手法もその基本は現象などの正確な観察である。観察結果を分析し伝達するため、どちらも数学や分類基準を使う。

 

K氏には単純に「こんなことを言われたのだけれど何だろうか」といったのだが天上(天使)からの言葉が何か意味があるのだと想い、理解できる範囲で拾い調べ上げた。自分のレベルの範囲でまさに拾い、ぼんやりとだが本当にボンヤリである。

 

実はK氏には言ったのだが、他にも何種類か御託宣(お告げ)があったのだがK氏に預けてしまった。天使の御宣託を託宣したわけである。

 

T氏の自宅へ地図(方位の)を届けようとしたが、雨でもありこんな日にとは思いながら、地図がメールボックスに入らない。そこでこれは会社を「見てこい」ということだと思い、向かった。

 

精神、身体、血縁などという言葉が雨降る会社の姿から素直な印象である。「濃い」風土環境、住居環境、自然環境という。 雨が降るなかでも何か「照り映える」という光を受け美しく輝くにはこれからである。