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「日も暮れ方になりぬめり」 訳=日も暮れ方になってしまったようだ。

 土曜日と日曜日は78歳の知的障害者の女性を8時から9時半、一時間半お世話をしている。

土曜日は入浴、昼食の準備をしているが、もう8年間も最初はボランティア、今はどうしても介護料を取ってくれと言われてそうしている。

 

でもこれがあるお蔭で前日、飲み過ぎないよう節制するので、人間らしくまともな生活態度である。

 

ところが今朝はちょっと寝坊気味、大家さんは私の行動を知っているので新聞を手に私の様子を窺いに来る。

そうなんです。私は一人暮らしの69歳の老人、このアパートに孤独死を心配してこの大家さんあずけられた。というよりも無理矢理、押し込められた。

 

先日も「この頃洗濯物が干してない」とか新聞を直ぐに取りに行かないと、ピンコーン!とベルが鳴る。「どうしたの?大丈夫!」とこんな調子である。

 

*相談者とのお付き合いを断ち切った事の余波(波紋)はいまだにある。

私も30数年この陰陽師の仕事をしているが、始めてこうした行動にとった。

 

特に男女の関係は厄介である。

離別を女性Sさんが選択(宣言も)をしたが、それだけの理由もあり、伺っていても納得するところである。

その後どうなるかは案の定でもあり、予想通り、人生は筋書きのないドラマである」とかいうが、とてもこんな感動を人々に与えられないという意味あいと、あまりに都合のよすぎる偶然(最初から、こうなる潮目であった)が重なった展開なのでちょっと気の利いた脚本家なら気恥ずかしくて書く気にもならないという意味あいがふくまれる。

男性Aさんが許しを請う形、姿は当初から分かっていた。映像にもそれははっきり映っていた。

 

これ以上は男女間のドラマであり、そう見ていないと白ける。

 

人は個性と魅力は光になるのだが、全く「光」がない。輝きかな。

「いかにも儚い、執拗だと儚さの按配が良くない」私の内臓のぬめり(粘液)さえ覚える(感じる)

 

この二文字「儚い」「執拗」という文字が浮かんできたが、こんな気分である。