反響が大き過ぎた。「斬り捨て」ではなく,より厳しい「峻拒」といえます。

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<嫉妬を画像で表すと、こうなります>

前回のブログの続きです。

 

相談者を斬り捨てたというタイトルには他の相談者や弟子には刺激的であった。

反響が大き過ぎた。「斬り捨て」ではなく,より厳しい「峻拒」といえます。

 

それだけのことでもあったということだが、相談者には来る者、求める者は拒まないことを貫いて来たが、当然初めての経験である。

 

そして私は相談には自己の欲望や利害、あるいは時に好悪まで捨ててかからなければならないのである。理想的には、無私になってこそ、他者や他者をとりまく物事の客観化の高い純度が得られるといえるのです。

 

鑑定(占う)には人の面白さ、それは個性、魅力だったと思い知らされることがあります。その印象は、魅力という以上に、「光」という感じがあるからです。

 

「斬り捨てた」につては前置きが長いが上記のように光(個性、魅力)がないからです。

同行のSさん(女性)との家と家の縁(えにし)を感じていたから我慢をしていましたが、相談が終わると顔色が変だと周囲の言われたものです。

 

繰り返すが、役人に対しては精神的類型が認められる。類型に堕した人種である。

その後どんどんと明らかになる内容からするとSさんも傷ついているが私が潰れる。

ストレスで。

 

峻拒(厳しく拒絶)とは私が深い(歴史のある)相談者には「守りのバリア」を張ります。そのバリアを解いたと同時にいろいろな出来事が起こっているらしいです。

 

「斬り捨て」話しはこのくらいにしますが、いつも通るお宅に真っ白のアジサイが咲いている。

こんな時は都心で時節を律儀に守っているのはアジサイくらいか。後で知るが、皮肉にも「移り気」の花言葉を持ち、別名を「七変化」や「八仙花」という。

 

でも花の香を感じながらスッキリするはずが、花言葉を知るとかえって俗世から離れられない。

 

因みに。

日本では紫陽花の方が一般的ですが、これは唐の詩人白居易が詠んだ詩で使われた別の花を「紫の花」ということで平安時代に「あじさい」と勘違いして訳されたのが始まりだそうです。間違えたのは源順だったと思います。

で、中国では本来あじさいを八仙花と書きます。だから後から「あじさいは八仙花と書く」という正しい情報が出回って、2通りの書き方があるのです。