<Mさんはこんなイメージの女性・私にはもったいない女性>
久し振りに神戸から戻ってきた女性Mさん(幼友達と言った方がいいかな)突然ドアーをいきなり開けて「坊や元気!」「いきなり開けるなよ!驚くじゃないか」
「だって坊やの熱気は伝わって来たから居るのは確かだったからよ」
どれほど確度のある話しなのか、自信があるのであろう!私の周りはそんな人が多い。
Mは特にそう言える女性である。
「熱気というけど空気を感じたんだろう?」「そうじゃないのよ!亢奮といえるかな」
久し振りだから、物事に感じて気持ちが高ぶったの。特に,生体など、その器官・組織が刺激によって休止状態から活動状態へ移ることといえるのよね」理屈っぽく言えば。
そんなやり取りはこのMしかできない会話である。
後悔といえば「一緒に神戸に行きましょうよ」「暮らさない?」と言われたがこの地を離れがたかったのが優先された。愛情がなかったわけではない。
両親も一緒だし(それは理由としては重くない)家族という意識よりも小学校の延長みたいでおままごと?じゃないか!頭が良すぎてあの世のヒトみたいで甘えん坊の私にはちょっと引いてしまったのであろう。
まさかと思っていたら、後から両親も訪ねて来た。丁度、西陽(にしび)が射してその中のおられ、老いの寂しさもなく、笑顔のままに外で待っておられた。
狭い部屋へあがって来られて、恐縮したが、誘っているのかな「神戸は温暖で天災がないから」などという。なんてこった阪神淡路大震災があったではないか。
まあいいや!付け加えると、人情の穏やかさ、そういうものも理由として無縁ではないようだ。「“以前孫の顔が見たい“などと娘の歳と私の歳も考えてくれ!」と言いたい顔をしていたらMから顔で「黙って聞いてあげて」とサインが出た。思い出した。
志操堅固な人ではあるがこんなことでは全く困ったものである。誘いに来たのと私の生活ぶりを見に来たのであろう。(私の住まいの近くの自宅の処分も兼ねてやって来た)
しかし突然の出会いで私は久闊を叙し「神戸は如何ですか」と問い、今度はどういう御用でなどと伺った。
その夜は新宿区の神楽坂へ行った。ご両親の昔行きつけの料亭であったが二度目で、まず初対面(いちげん)さんは入れないところである。
私はこの家族とは身分違う。私は素封家といえども百姓あがり、到底、違い過ぎる。
誘いが有難いが幼い時に「坊や」というイメージしかない。
素封家といえども既に没落、零落した家系である。
ご両親、Mなど学歴も