仕方なく家にいるが、実は現象が現れるので嫌なんです。

https://youtu.be/3D2RyuezdNo
<スイング改造№2まだまだですね!>クリックしてください。

ちょっと怖いことを経験してしまった。体調の悪い時はいろいろなことが起こる。

体調は胃の悪い時はこうなるとか、脳がつかれている時はこうなるという症状は十分承知している。

 

能の物語で「橋がかり」(この橋がかりを通って揚げ幕から本舞台へと現われ消えていく)があの世とこの世を結ぶ道のようなのです。

そんな亡霊が表れて消えてくという現象であった。

 

その結ぶ道に乗っかってしまったのである。まあ!いいや、それだけでそんなことはしょっちゅう(毎度)のこと闇の世界も何の恐さもない。

 

むしろ迷いの人間から動物までうろうろしている。愉快な世界である。面白い(愉快)!そんな言葉を言うほど滑稽な世界である。

 

家にいるとこんな現象ばかりで酒でも飲んで朦朧としたくなるのである。えびす家へは行かず(金が無い、カードを落とし無いので、引き出す手続きが面倒)なので僅かな金で今晩は冷蔵庫の残り物を漁る。

 

実は家にいるのが嫌なのである。現象に疲れるので。だって屋根で「バチッっと凄い音」がするんです。バチ!バチ!ですよ。

 

とりあえずはコンビニで酒を4本(後にワンカップ、焼酎のカップ追加。寒風のなかコンビニに突っ走る。それだけの金はある(4000円位かな)でもね。小銭入れ内、数百円。

 

ゴルフのレッスンだけは受けた。毎週、水、金曜日は必ず受けている。iPadでスイングをビデオする。今回の課題を課し、それをスイング改造に備える。今回は右足をべた足の様にバランス(重り2キログラム)をつけて抑える努力をする。 ドローボールとは言わないがストレートか先でやや左の落ちるボールを目指す。

その画面をPCに移してじっくりとチェック。

 

次回の課題を見つけ出す。あった!左肩のテークバック時の問題。次回の課題とする。

 

パターもほろ酔い加減でも気付いた事を自宅の人工芝で実施(練習)する。

パターをやや浮かしてヒット(ボールの”赤道”で打つ)ラインから外れない、サイドスピンの少ないボールの転がりをつまり、順回転を得るように打つことである。

 

話はどんどん逸れるがそれが、酔いのいいところで、これを書いていてもほろ酔い、いやいや酔っ払っている。

胃の調子が悪い原因はストレスもあるが、今晩のように「悪食」の粗末なものを食べたのも原因の一つである。えびす家で食べていれば家の食事はそうなりますよね。

 

いかもの食い(如何物食い)とはいわないが、アフリカ奥地の野ネズミ、トカゲ、カブトムシ、イモムシ、シロアリなど、沖縄のウミヘビを鰻といって食べているなどと言うのではない。

 

実は友人のベルギー人(学生時代の友人)の家で牛の扁桃腺煮込み、鶏のとさか如きを食べました。それが原因で胃を悪くしました。いわゆる「食欲倒錯的な快楽」という病気ですね。結構昔から好きなんです。異食症とも言える病ですね。

 

変人と言われる所以です。

 

久しぶりにパソコン内の音楽を聴くことにした。そればBGMであるが、さて何の音楽、歌手にするか?決まりました。井上揚水でした。

 

此処まで飲むと悶絶躄地(もんぜつびゃくじ)の苦しみである。

というのはね。正直言いますと70歳は恐いんですよ。こんな意識は持ったことが無いのですが、ゴルフの復帰も「70歳にしては元気でしょう」と言葉にしなくても何となく言っている自分が嫌なんです。

 

絵の方は目が原因で控え気味にしていますが、人間目的が無くなると何とも惨めですね。あるんですが、例えば陰陽師(途中に揚水が軽快な歌から語り調子になると筆もリズムが)

昔の因縁で介護とか、でも年齢制限があるしね。 この辺で止めとこ!無粋な話に鼻白む。鼻白む。

 

因みに安倍昭恵さんを占ったが、安倍首相は子供がいないことは首相自身の問題があるにしても、昭恵さんにも女性としては理由がある。特に夏場にはもう一度何かが起こる。

私は好きですね。色気ないですがでも可愛い。

 

安倍さんは今度都議会選挙も衆議院選挙も自民党は苦しいでしょう。その結果

安倍降ろし(麻生さんが笑っている。全く器じゃないけど、権力には執着が強い)が始まるが、世界の安倍と降ろしたら世界がバラバラになっちゃう。日本人の良識に期待したい。

久しぶりに3人の鑑定。それから学ぶもの。

日々私がしているお話しをします。

昨日大森駅でR・kさんから相談を受け出向きました。勿論深いご縁があるので一生懸命に答えました。

 

それで3人の方を鑑定してそれをメイルでアドバイスしました。そのことに対する話しではないのですが、暫くぶりに一度に鑑定を3人、年を考えるとやる前に構えてしまった。

 

鑑定はとても疲れるんです。

 

一人目はやっぱりといえる人であった。相談で話を聞いているうちにイメージが湧いてきて、改めて生年月日から人として基本、星が幾つか見えてくる。それを表現する。そしてその他、文字が浮かぶことがある。それを表現する。

 

そしてその人の罹患率の高そうな病気を指摘する。(五黄土星ならば内臓、癌、腫瘍とか)

そして「総じて」とそこでは九星氣學としての象意を具体的に表現する。

 

例えば五黄土星とします。

五黄は旺盛な変化、「腐敗、土化」全ての動物や植物を育てます。五黄の土は全ての物を腐敗させ、土と化す作用をします。

この作用は自動的であり、自分自身から引き起こす。等と、更に病気は下腹部に発生しやすく高熱を発する。と指摘します。

 

五黄は暴欲である。汚く、他人の物でも奪い取ってしまうという「暴力的な欲望」にあたります。従ってこの暴欲の精神が知らず知らずに強く表れ他人から嫌われることになります。

 

「古し」という意味があり、古い病気の再発、交渉事の不妥協、古い友人の為の損害、迷惑、廃物や不用品の整理中、塵界の処理中の象意例等など。

 

そして五黄土星の人の運勢及び性格を。更に運の良い五黄土星の人としても表現します。

 

そんな暫くぶりな鑑定をしていると、「そうだ!えびす家に借金があるんだ」と気になって仕方がない

 

それはカード(クレジットがついている)ので厄介なのだが、銀行内で落とした。目の前にあるのに(手続き中の担当者の)再発行の手続きをしなくてはならない(一度無効にしたので)何で「今カードが届いてます」とか連絡をくれないのかと不思議に思いながらもそのまま大人しく手続きをする。

 

銀行は親しい友人のM銀行のH氏以外は軽蔑をしているので我慢、我慢!

 

こんな誤解を生んでしまった。二面性という表現にご本人はショックな言葉になってしまいました。 その相談者を以前に鑑定した時に戸籍上の生年月日を鑑定したのですが、どうしてもイメージが合致しません。ということは二面性があるということです。 そうするとその方は戸籍の日の夜中の1時に誕生しました。陰陽師としてはこの扱いは前日(11時を過ぎますと翌日扱いになります)それでその日でいいのですが、両日をみる必要があります。 この場合は特に前日の影響が大きいということになりますから、それを見ることが大切で前日と含んだ鑑定は確実なものです。

 

それを二面性と言える個性となってその方の人間性を確立するわけです。

欠点ではなく個性です。

 

二面性というのは不適切な表現ですね。なんか違和感がありますね。

 

相反する二つの性質を持つ事。単純に言えば性格が白と黒、真反対の2つがあるような感じです。

主に相反するとされている二つの性質を兼ね備えた性質のこと。 
光と影」のような、一つのものの表と裏の側面である事が多く、意外と矛盾している事は少ない。 

 

こんな風に考えます。私的ですが。

・白と黒がぶつかって悩んでいるってのは、まだまだ未熟である証拠。 ・目指すべきは「白か黒か」ではない。「白も黒も青も赤も黄色も全部」だ。 ・未熟な段階で自分の中に「本当の自分」を探すなんて10年早い。白も黒も本当の自分なんかじゃない。せいぜい「卵」。 ・まだ知らない、まだ出会ったことの無い「自分」がたくさんいるはず。悩む暇があったら、もっと色んな経験を積むべし。みんな見つけてから、みんなで協力して「自分」を築きあげるのだ!

何だか相談内容から出た二面性がこんな風な解釈と結論めいた言葉になってしまいました。如何?

私は預言者ではありません。

このところ都議選と今朝の新聞でも4月23日に総選挙があるかなどの報道がある。

それでにわかに政治家からの相談が増えた。実は私は預言者ではないので些か最近はこうした相談は避けている。

 

アメリカ大統領選を二度までも当ててしまったのでそうなるのだが、これは全くの勘によるところで、天上界からの警告に耳を傾けていた結果、世界の不安は日本の不安であり、それは個人にも影響するのは当たり前でそれがこんな事態になってしまった。困っている。

 

~政治の社会には大地震が発生します~と言いたいのですが。

21世紀には、人類が感情タイプから理性タイプへ進化するタイミングに来ているのです。

 

本来地球には、時間も空間も距離も存在していないのです。時空を超えているのです。

波動が粗いと時間がかかり、精妙だと速くなるのです。

昔は、悪いことをすると反省の時間がありました。今は、反省する暇もなく、結果があっという間に出るのです。

 

人間界には、カルマの法則があります。

愛と調和と循環の法則を犯した人、我欲、肉欲、金銭欲の強い人は、即座に刈り取られ

るのです。

 

こういう時代に入ったのです。心すべきです。姿勢を正す必要があります。

今、天上界が一番心配しているのは、中国人のことです。

拝金主義、自分さえ良ければ、他人を排除し、自然を破壊し、その悪影響を他国にも及

ぼしています。

共産主義は必ず文明を否定します。0.5%の共産党員が富を独占しています。

 

天上界は、共産主義はNOの答えを出しているのです。

このまま行くと、中国の国民、地方政府、中央政府はカルマの刈り取りが激しいことに

なるでしょう。

 

日本は天上界のプログラムでは21世紀の世界の指導民族となります。

世の中にはびこっている汚れ、曇りを浄化して、世界の見本にならなければならない使命があるのです。安部首相を大事にしないと日本は救われません。リーダーにはなれません。

 

天上界はそのために、天変地異を引き起こし、事故や災難、病気にさせ、警告を行って

きたのですが、人々は気付きません。

 

近いうちに、天上界による大きな大掃除が行われます。

地上界は物質界、人間は肉体という、鈍重なものを持っており、時間が存在しています。

 

天上界は地球を創造するに際して、日本列島が地球の中心であるように地球を創りまし

た。

 

地球は回転する球体です。「琉球」とは、流れる球と書きます。

 

琉球、沖縄が、これからの地球の文明の中心地になるということが天上界の意向であり、そのようにプログラムされ、実現するように出来ているのです。

 

この意向を無視し、邪魔する者は、刈り取られてゆくことになります。

沖縄県知事、那覇市長の選挙結果に現れています。

 

そして沖縄の子宮に相当する場所が、古宇利島です。

 

沖縄の聖地が汚され穢(けが)されると、地球はとんでもない悪い状況になります。

沖縄の聖地が浄められ、エネルギーを取り戻すと、地球にはユートピア社会が訪れるの

です。

 

地球は聖なる星となるのです。

 

日本民族は、どの民族よりも転生の回数の多い、熟した魂を持っています。

日本の富を食いつぶす国際機関、日本の政界、財界、学者は100%刈り取られていきま

す。

 

今日本の政治は巨額な国民の税金を無駄遣いし、自分達の利権のために浪費し、闇の機

関へ貢いでいます。

天上界は日本の政治の世界に大地震が来ると警告しています。

今、党利党略で自己欲望しか考えない政治家、予算にたかるハイエナ、機関や人々は、

光に照射され、闇に飲み込まれていきます。

 

日本民族は、どの民族よりも転生の回数の多い、熟した魂を持っています。

日本の富を食いつぶす国際機関、日本の政界、財界、学者は100%刈り取られていきま

す。

 

今日本の政治は巨額な国民の税金を無駄遣いし、自分達の利権のために浪費し、闇の機

関へ貢(みつ)いでいます。

 

天上界は日本の政治の世界に大地震が来ると警告しています。

今、党利党略で自己欲望しか考えない政治家、予算にたかるハイエナ、機関や人々は、

光に照射され、闇に飲み込まれていきます。

 

天は自ら救けるものを救ける、汝の救いは汝自身なり。

天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず。

求めよ、さらば与えられん。

 

救い主は外にはいない、あなたの内にあるだけ。内観せよ、です。

ユートピア社会はもうすぐそこに来ています。

一人一人の気付きと行動が速いと、それだけユートピア社会が速く実現するのです。

 

日本と地球の大浄化が行われ、そのスピードを早めています。

私達一人一人がこの流れをキャッチし、理想社会の建設に立ち上がろうではありません

か・・・。

 

・・・とは政治家には言えません。気が狂っていると思われますから、天上からの強いエネルギーを感じているのを表現しただけですから。

 

大田区は離れがたいですが、沖縄に引っ越すことを真剣に考えています。
特に大森には私としては珍しく未練があります。どうしましょうか。

 

老人にとって大切なことと。そして料理を再開する。

「何もしていない。何も予定がない。そういう幸せってあるんですよ」誠にその通りだという実感もあります。

 

しかし、70歳の私にはこんな心が痛くなるような納得してしまう、言葉もあるんですよ。 「老人は”教育”と”教養”が大切なんです」えっ!なんで今さらと思うでしょうね。

 

それは教育(きょう・いく)とは「今日、行くところがあること」教養(きょう・よう)とは「今日、用事があること」それが老人にとって最も大切なんですよ。

 

そうなると私は行くところがある。仕事も持っている。ですから幸せなんでしょうね。

 

でもね、今とても反省しているんです。

というのは独りで暮らすと無駄が多く、料理など一人前にやるんですがキャベツを四分の一を買っても余らしちゃうんです。

 

カレーライスなどは一度作ったら3~4日間は食べますね。最後はカレーうどんなどにして工夫は慕いますが。 反省というのは一軒目で飲食をし、それじゃあ!済まないんです。帰路の途中にある、ワインバー(イタリアンの店)に立ち寄ってしまいます。人恋しいんですね。 そうすると何と!一晩にして1万円近くを使ってしまいます。

 

それでも料理をする効率の悪さから最近はコンビニの総菜が美味しいんですよ。それを大いに利用していましたが、飽きてきました。

 

それで又料理をしたくなりました。それはえびす家で出てくる味への挑戦心が湧き出てきまして、特にえびす家の「大根と手羽先」の煮物が特に好きでつくりました。

今回で3度目なのですが何となくコツみたいなものは体得したのですが、悔しいですが満足する出来ではなかったです。(断っておきますが、えびす家は何でも美味しいですよ)

 

圧力鍋は以前からよく利用します。魚の煮つけ、勿論、肉用理でも多用します。 それで「鶏手羽と大根の煮つけ」とろとろですよ。

 

えびす家と違いは私はフライパンにごま油入れ手羽を炒めます。

大根は大きめの5センチ位に輪切りにします。

 

最初は圧力鍋にだし汁を入れて沸騰したら鶏と大根と卵(私はボリューム感を上げる為)に入れます。灰汁(アク)を取ってから、醤油、砂糖、みりん、酒、生姜を入れる(実は殆どは麺つゆを使います。生姜以外は嘘です)。

 

それから圧力鍋で煮詰め完成です。大根の芯までだし汁が染み込んで、ほっこり柔らか!美味しいですよ。

 

でも大きめのタッパに3個出来、病気療養中の大家さんに1タッパ届けました。それと大きな娘(53歳の娘)がやってきたので殆ど持たせました。

 

その時、娘も生活が大変なので援助したのですが(深い訳がありまして)、私の生活ぶりに怒られました。

老後の資金はいくらあってもいいのだから、節約するように強く言われました。

「私は彼の両親をみなければいけないのでパパは面倒みれないのよ」と言われました。

それが大いなる反省です。

 

因みに他に二人、男女の子供がいます。48年、49年生まれです。頼れないでしょうね。

 

先日、ラウンドレッスンで千葉のゴルフ場に行ってきました。その帰りに同伴者の女性がいつも買っているという卵屋さんに立ち寄りました。 エサにパプリカ、高麗人参エキス、無農薬のトウモロコシ、アルカリイオン水など吟味した原材料を使っています。実に上手い!

それを一番おいしい食べ方は「卵かけご飯」です。今、凝っています。

 

最近の食べ方は。

1フライパンにごま油をひきます。

2温まったフライパンに溶いた卵とめんつゆを混ぜた物を流します

3箸でかきまぜながら半熟位で火を止めます

4温かいご飯の上にフライパンの中身をのせます

5最後にめんつゆひとまわし、のり、胡麻をのせて出来上がり!

コツ・ポイント

生卵とめんつゆを先に混ぜておくだけで下味しっかり!のりが美味しいです!

 

お試しください。

イチローの言葉から「個」を考える。

私の性格(教養)は枝葉を飾る類のものではなく、坑道を掘って岩盤に至るように、物事の根底まで掘り下げなければ気が済まない。

 

それにはこの言葉が人生の、人と人との交わりなど全てに当てはまる。それを当てはめて人を見ているとこの言葉通りで、その人物の考えたか、生き方までが見えてくる。

 

本当に納得してしまうんです。何ともいえないものまでが見えてくる。

 

それは大リーガーのレジェンド、イチローの言葉です。

彼はピートローズの記録を超える時にその記録にケチをつけられたことで、大人ですね!こんな言葉を発したのです。

 

それは「人は自分よりも同等か、それ以上だと、その人を攻撃する。自分より同等かそれ以下であると褒める」という実に名言がある。

 

私は主にえびす家とBACCOは既成のルート、そこでいろいろな方と接するのですが、そこで立場や年齢など、いろいろな方の会話内容に接します。それをイチローの言葉であてはめると、本当によく見えてくる。

 

こうしてBACCOで飲むのが楽しい。年齢、職業、性別などでその人を観察、想像するが楽しい。

勿論私の領域ですが、オーラの色(勢い)等と接した印象との差異が又面白い。

 

最近、オーラもそうだが、とても生命力というのか、希薄な人が多くなっているのに気がついた。 「希薄」年齢に関係なくいえるのだが、それも何か「自立」していない人間が多くなっている。経済的にだけでなく精神性の希薄さである。生命力とも言えるのかな。

 

それは親であり、会社であり、その膝下(しっか)から離れられない。何らかの庇護から抜けられない。とても希薄な生命力を感じる人が多い。

 

そうなると個とは何か?と考えてしまいます。

私個人は「「機能」もしくは「役割」を持っているもの、または他者によってそれらを与えられたものが個である」と考えています。機能や役割は必要によって生まれるのであり、そこに、より大きなシステムが存在することによってそれらが認知される。

 

人は、自分を取り巻く体系の中にあり、そこで形成されていく存在なのかもしれませんが、ただそこにいただけでは、なにも形成されることはないでしょう。

体系の中にあり、そうしてそこで、自ら能動的に「意味を持つ形」として形成されていく、無意識の意志のあるポイントにこそ、「個」という概念は生起するのだと思います。
つまり、全体の体系の中にあってこそ、成り立つ概念なのだと思います。

 

そうして「個」を見続けていると、相手の本音を知ることもある。

「あーッ!そうなのかこの人の本音はこういうことだったのか」では私に対してはどうなのか。私自信は他人に対してはどうなのか。

 

等、極端にいえばその言葉には宿意、宿根するら見えてくる。「あーッ恐い!」

 

言葉一つで物事がこんなに見えてくるんですね。

当分イチローの言葉を常に頭においてみていると暫く楽しめます。

 

「個」を掘り下げると。発見!

因みに最近、認識新たなのは個人:個人(そのまま一個人のこと)
個々人:個人の各々とか銘々など(いわば個人個人ということ)

個々人は複数の人がそれぞれと言う意味で使いますので
その場合に使用してください。とあったのが

 

いつもながら、不幸の予兆は重なる。結果と今後の心配。

私には直接的には責任はないのだが、私の知り合いに卵巣がんの方が手術をされ、その癌の組織が何と!5キログラムだったとのこと。(極、身近な人なのですが、病名が病名だけに名を控えます)

 

ただ私のブライドを傷つけたには、その方のお腹のふくらみが気になってはいましたが、ご本人は「少し太ったかな」と会話があったが、問題は私はその後の痩せ方が気になってきた。 それに伴う、腰痛であるというので整体を薦めた。が私は病気など発見するのは、例えばその器官を構成する細胞集団との会話から、メッセージが送られてくる。

 

それで殆どの方を救ってきたが、今回は細胞集団のメッセージの内容を、に即して分かりやすく言語に移しかえること。が上手くいかず、曖昧なままにしていた。

今思えば怖い病気の前兆(初期症状)が表れていた。皮膚の色の変化、肛門からの出血と今は言えるが細胞集団の言語を移し替えることが出来なかったのである。

 

細胞集団の警告はあったのだから。

卵巣がんは初期ではほとんど無症状ですが、腫瘍が大きくなるにつれて下腹部膨満感、下腹部腫瘤感、下腹部痛があり、急激に腹囲が増加して着衣が急に窮屈になったりします。

 

それが太って、痩せるということでもう一度集中した。そのメッセージを理解したうえでその方に検査を薦めたことで発見された。

 

言いわけをすると再度、試みた細胞集団との会話では、卵巣に異常があるとは分かっていた。しかし女性には言い難かった。「お腹に何か問題があるようです」とは言ったが「その痩せ方は心配です」と強く検査を受けるように薦めた結果、手術後今は療養中である。

 

「先生に言われなかったら検査を受けず、倒れるかしないとそのまま放っておいたでしょうね」と今は感謝されている。今のところ予後は良い様である。

 

私が誤ったもう一つな先入観である。普段は丈夫で女性としてはガッチリとしている。

活動的で働き者がそうさせて。見誤った。

 

そんな中、唯一私のもとから去った相談者がいる。そういう意味で身体を心配している。

この件でスッと頭に浮かんできたのだが、恐ら上野広小路の摩利支天神社に行かれていると思うのですが、感覚はとても希薄である。それは今回の卵巣癌の方と同様のものを感じたのである。

 

ご縁が切れてことで余計なことである。言葉を避ける。

 

摩利支天様とあは太陽の光線を意味する。摩利支天は陽炎を神格化したものである。

陽炎は実体がないので捉えられず、焼けず、濡らせず、傷付かない。隠形の身で、常に日天の前に疾行し、自在の通力を有すとされる。これらの特性から、日本では武士の間に摩利支天信仰があった。

 

今でも通って信仰をしていて下さることを望みます。余りにも”希薄”な生命力に私すらその生命力を感じることが出来ません。行動すら掴めません。希薄とな何であろうか。

 

実はブログに摩利支天様のイラストを掲載しようと思いましたがその画像が不具合で出ません。何でしょうか。

公演のお話し。

暦を送っている皆さん!私でも今頃気がつくことがあるんです。 東が吉方で吉方取りも兼ねて仕事に出かけました。心の中では吉方だから、と安心と仕事で何かを期待していました。 それが仕事上で上手くいかない、返ってもめるので気分が悪い、怒りで興奮気味でもあった。

でもねよく考えたんです。冷静になってみると、その仕事の内容からして、たとえ気分が悪くても、興奮しても仕事上から学ぶことがとても多かったのです。 フッと考えましたら、こういうことが本来の吉方という磁場の作用、在りかたであると心底に思うのである。

まだまだ学ぶことが多いですね。確かにと思わず点頭したしまった。

 

 

さて!宗教団体の公演のお話しに戻ります。

 

私の重要な、お得意先は大・宗教団体である。新興宗教ではない、伝統的な団体である。

最初はパンフレレットや機関紙(特に青年部都の関わりが深い)などに絵を提供していた。

{宗教を新興宗教・既製宗教と分けるのは間違っています。宗教か宗教ではないかで分けるべきです」これは普段から特に歴史本(宗教史)を見ているとつくづく思いますね。はっきりします}

 

当然、注文は仏画などが多く、それには文章(説明文など)を加える。その文章が面白いと青年部から公演(実際は座談である)依頼があったのがきっかけで宗教とは全く関係ない内容を要求された(宗教学者や哲学者などの先生が公演をされているので私が宗教論など難しい話が出来るわけがない)

 

その青年部の座談(30人から50人くらいの参加者、だんだんと多くなり今や100人に達する時もある)それに毎回、数人の幹部の方も参加されるようになった。

 

ブログなどの評判を聞いて興味を抱かれたのでしょう。結構言いたいこと、宗教批判すらありで、特に私は先祖を祀るのに日蓮宗であることもご存じである。

 

そして私は聖書を精読して”心はキリスト教徒”である。どこにも所属はしていないですが。

 

先日の座談で幹部の人が居たのですが、とんでもないことを並べて笑いをとったが、何とも言えない表情をされていた。しかし大宗教の”ゆとり”というのか襟度を持されている

 

何と幹部の方の顔色を見ながらも。

歴史を辿ると「宗教家というのは時代とともに生きることはありません。時代からずれているから見えるものがあるのです。前後の時代を見つめることができるのが宗教家です」

 

こちらの宗祖は宗教史本による知識です人としての生きざまが好きですね。そこから出た言葉です。

 

ちょっと!調子に乗って「宗教の果たしてきた役割は、人を救うことではなくて、救われたい状況をつくることだったんじゃありませんか」

 

「信徒が増えれば組織化します。組織化したら、それは信仰じゃなくて経営です」。それは批判ではなく、当然否必然ですが組織としてどう活動しているか、時の権力との関わりとかが問題なんですよね。宗教と政治との関わりは歴史的にみてもいいことはありません。

 

宗教は政治に関わってはいけません。歴史が物語っています。末路も。

 

「信者という字を横に並べて書くと、”儲かる”という字になるのです」「宗教は儲かるんですね」これは大いに笑いを誘った。しかし「組織は肥大化すると経営は大変ですよね」と何と!幹部の方の顔色を直ぐに見たが苦笑い。

 

今や宗教の役割は、この不安定な時代に「乱世には宗教が生き生きするんです」。今はそうですね。

 

私は寓意的な表現が出来ませんのでちょっと調子に乗り過ぎたきらいがありました。

青年部の幹部の方も「先生はそれが面白くてお呼びしているのですから、幹部の方には声をかけていません。自発的に来ているのですからいいんじゃないんですか」と言ってくれた。

 

*宗教のリスクを知るために25歳の若きマルクスが「民衆のアヘン」と批判した。

この内容を次回の公演のテーマにしようかと思いましたが、重すぎて止めます。

 

〈反宗教的批判の根本は、人間が宗教をつくるのであって、宗教が人間をつくるのではない、ということである。

たしかに宗教は、人間が人間らしい生き方をまだしていないか、もうできなくなっている場合の、自己意識であり自己感情である。けれども人間というものは、けっしてこの世界の外にうずくまっている抽象的存在ではない。

人間、それはつまり人間の世界のことであり、国家であり社会のことである。この国家、この社会が、宗教という倒錯した世界意識をうみだすのは、この国家、この社会が倒錯した世界であるためである〉と指摘する。

人間が宗教を作るのであるという至極当たり前のことをマルクスは指摘している。その上でマルクスは、宗教が人生の問題を解決する際に参照する百科辞典のようなものだという考えを示す。

〈宗教は、この世界の一般理論であり、それの百科辞典的な綱要であり、その論理学

が通俗的な形をとったものであり、それの精神主義的な名誉問題であり、それの興奮であり、それの道徳的是認であり、それのおごそかな補足であり、それの慰めと弁解の一般根拠でもある。

宗教が人間の本質を空想的に実現したものであるのは、人間の本質が真の現実性を持っていないからである。だから宗教にたいする闘争は、間接的には、宗教を精神的香科としてもちいているこの世界にたいする闘争である〉