大きな仕事を失うが、後輩の裏切りによる。挙措を乱すが大人になった。

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<パンが無くなり、今回はレーズン入り、写真より実際は黄色が強いです。それは卵、牛乳、バターを入れていますから>

 

あんな奴儕(やっぱら/奴原とも書く)に我儘をされて堪るか。

「奴ら」とでも言えばいいのだが、強い表現で言うだけのことが起こった。

大きな話が舞い込んだと言いましたが、大手広告会社とある業界(具体的に言うと直ぐに分かってしまうので)と熾烈な競争があり、私の出る幕ではないのですが古い付き合いの広告会社の担当者と上司が怒り狂わんばかりであった。

結論から言うとその仕事を競争相手が受注したということである。

それは身内の裏切り出会った。私の後輩の当たる人物が情報を漏らしていたのである。今回打ち合わせ段階でその人間は同席しているのが不思議だった。又不自然であったのだ。

私は私と協力をして、入れ(加われ)ということであるのかと違和感を覚えながらいたのですが、上司に私の世界をよくご存じの方で「先生!何か違和感を感じませんか」と尋ねられたが、「そうですね」とも言い難く、黙っていた。実はこの違和感が今回の結果の予兆でもあった。

野心のある人は言葉は兎角、ある事象を説明するのにabという二つの事柄で足りるのに、さらにcという事柄を導入した説明をする。

傍で聞いていると説明に最低限必要でない余計な存在がある、そうしたものは不必要なものなのだから切り落とすべきであるという考え方だ。

私などは分かりやすく言えば「物事をシンプルに捉えよう」という思考方法を取る。

最も有効な解決策とは、最もシンプルな解決策である。「物事をシンプルに捉えよう」ということです。

分かりやすく言えば「物事をシンプルに捉えよう」という哲学上の思考方法のことで、ある事象を説明するのにabという二つの事柄で足りるのに、さらにcという事柄を導入した説明をするのは無駄であるとする。

説明に最低限必要でない余計な存在がある、そうしたものは不必要なものなのだから切り落とすべきであるという考え方だ。

「物事をシンプルに捉えよう」ということです。

ちょっと話が進んでいくと嫌気がさす。「これは?もしかして」

何やら?やる前から結果が分かっているのかなと疑う事が起こっている。取引にこんな俗語は使いたくないが「出来レースか?」

あらかじめ裏で入札で結果が既に決まっているのに公平なフリをしたりすること等です。

ぬか喜びさせられた上に、案の定フラれてしまった、なんていう時も怒りと悔しさを込めて「こんなの出来レースじゃねえか!」なんて言いそうになりました。

当然ながら、良い意味の言葉ではなく、どちらかと言えばハメられた側が負け惜しみや怒りの感情をぶつける為に必死に堪えました。

ただ、一見大袈裟に演出し実際にはちゃんと公平なのにも関わらず利権の絡んだ出来レースなんだからこの結果は予想通り、やだやだ。

私だったら挙措(立ち居ふ振る舞いを取り乱す)を失ったであろう。挙措がざっけなく、こうしたことは日常、世間の者を敬するという態度に欠け、時に他人の肺腑にいきなり手を突っ込むという無作法を平気でやった。そのため嫌うものが多かった。

今は立場を心得、大人しくしていたが、実の腹が立った。時間も精力を掛けたことが悔しい。

 

 

 

 

 

 

最近自身に大きな変化が。役割が重くなってきた。

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<暑さには勝てず、部屋の空気を循環させるため扇風機を買いました。レトロな雰囲気が気に入っています>今は何でも最後の買い物と考えてしまします。

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<マーボー茄子、酢豚を作りました>しっかりした味が欲しかったので。

 

こんな不思議な出来事があった。

きっかけは、ノースカロライナのK子さんの息子R君の体調が何となく不安感(実は子の感覚は表現のしようがない)を抱いて日本に里帰りするに当たり、「御先祖に健康で健やかに過ごすことをお願いしてください」とMailしたことによる。

 

日本へ帰郷は余り良くないと伝えていた通り気象条件などの影響でまともには行きつかなかった。そして帰国後R君ががやはり泌尿器系の手術したという。

 

私が言いたいのは私の役割である今までの氣學を基本した、ある方の指導による映像がより鮮明なって来たことでそれによる人、事象、現象界(人間主観的形式によって構成された対象からなる世界ということである。そして人間が認識をすることが可能なのは、現象界とするもののみに限られる)。

 

そのことで又こんなことがあった。

蒲田駅前のゴルフレッスンに8月3日金曜日にいつもと通り、予約の14時より5分前に着きました。

2階が私の定席、そこに向かう時、事務所を通る。今までは社長という方がいつも座っている椅子に姿の一部が見えた。入院したと聞いていたにで恢復され、復帰されたのかなと思いながら、階段を上ると事務所の全景が見える。いつもはじっくり見たことがない、

 

何気なく社長が座る椅子と事務所全体を見渡すと椅子には社長の姿はない。

それも特段、気になったわけでもない。でも全体をじっくり見渡したのは初めてでした。

 

そしてレッスンを受けている間「社長はその後、如何なんですか?」と尋ねたのも一つの礼儀みたいなものであった。

 

すると「T医大病院から、担当医の紹介で目黒の病院に移りました」とそれも私は何故改めて尋ねたかは事務所に座っていたので復帰されたと思っていたが、あの椅子に座っていたのは、はたして誰だったのかというのは何となく曖昧な気分のままであった。

 

確認はしなかったが、社長が入院し来なくなった代わりにプロの義父が来るようになったのだが、又それが不思議でレッスンを受ける方が皆さん、社長と言われる方と義父がそっくりなのが又気味が悪い。そうしたことで私も納得してしまった(何の血縁もないという)

 

当日はプロの義父は来ていなかった。

 

その後のレッスンで分かったのは8月3日にその姿を見た方が、実はその日に亡くなっていたのでした。

 

恐らく、仕事が気になり意識が事務所に、そしていつもの席の座っていたのでしょう。

 

プロもそれを伝えるるとその間の3日当日の私の言動をしっかり覚えていたので「凄いですね。不思議ですね」とお互いのその出来事はレッスン中、この話題は終息に向かうことはなかった。

 

私がなぜこうした話しをするようになったかというと、こうした自分の意識が著しく変化してきたことです。それも昼夜問わず(夜は瞑想という時間を設けていた。又それなりの世界観を単なる知的な理解にとどまらず)味わっていたのだが、この世に存在した役割というか内容が深くなると責任が重い。

 

これが弟子や相談者が言う。「御代理様」(実はこのなの経緯がはっきりしない。いつしか皆さんが言うようになった)と言われる所以であろう

 

そうした意味で今後の役割が重くなって行く為にも長生きしなければ。

 

最近の医学的知見からいえば、様々な病気や老化の元凶は「酸化」と「糖化」にあります。

 

それには”食”ですね。まず飲みに行かなくなったので「食」に掛けられる。それにウナギです。ウナギなど回遊魚に多く含まれている。

疲れや肩こりの解消に効果があるビタミンB1が豊富で夏バテ防止の代表格とされてきた。

 

それと同じ回遊魚のマグロとカツオも多くのガルシノンを含みます。

でも魚や肉は高温で調理すると、AGE(老化や様々な病気をもたらす。終末糖化産物)が大量に発生します。

 

魚は生食が出来ますから、出来るだけ生で食べて下さい。マグロは絶対に刺身がおススメです。

 

牛肉や豚肉を食べる時は、しゃぶしゃぶにする。

オリーブオイルは「老けない食品の王様」です。主成分であるオレイン酸は強力な抗酸化作用があり、動脈硬化を防ぎますから、動脈硬化も防ぎますから、脳梗塞心筋梗塞の予防に繋がる。

オリーブオイルは「老けない食品の王様」です。消化の速度が緩やかになる。中でも酸度が低くエクストラバージンオイルはより強い抗酸化作用、抗AGE力があります。

そのまま飲むことが良いのだが、おちょこ一杯程度飲むことで、アンチエイジング効果が期待できる。

 

料理用は安価なものを使うようにしている。でも、サラダオイルに比べると値が張る。

 

今朝早速、牛乳を豆乳に代えました。応分が添加されている商品も多いので購入時が成分に注意を。必ず無調整の豆乳を選んでください。

 

赤ワインは動脈硬化を防いでくれます。白ワインは3カ月に飲み続けると、体重減少に加え、体脂肪や血圧の値が改善されたという研究があります。

 

白ワインは糖質の少ない辛口がおススメです。

 

私は毎朝のパンは自家製です。殆どスーパーなので売られているパンはイースト菌の効果を強めるためにイーストフードという添加物を加えています。

 

私はドライイースト菌を使用していますから、焼き上がるまで4時間維持用掛かります。

イーストフードのないものを選んでください。添加物が少量であれば大丈夫という考え方はむしろ危険です。イーストフードとドライい―ストは違います。

 

チーズも自然の牛乳を固めたナチュラルチーズと過熱した上で乳化剤などの添加して成型したプロセスチーズと別れます。加熱すると乳酸菌は死んでしまいますから、ナチュラルチーズの方が断然いい。特に、モッツァレラはAGEが少ないので早速今朝から頂いています。

 

要するに。

①加熱調理は避け、生で食べられるものは生のままで食べる。

②少し値が張っても安心できる食品を選ぶ。

③糖分が多いものは避け、炭水化物の摂り過ぎに注意する。

加齢に伴い酸化や糖化は確実に進み、AGEは少しずつ体内に蓄積されていきます。

二重否定は強い肯定⇔全部否定の否定。

叔母のところから帰る。

今回はまさに凶方位(私はミステリーという)それを実感して帰って来た。いつもなら自宅から真南の知的障害者のお婆さんのお世話をしてから行くことで叔母のところが凶方位北東を避けることが出来た。

 

それが今回はストレートに北東に行ったことで疲れ切って帰って来た。何か終わりにしたいという気分もあった。でも先祖と叔母のご主人にやり遂げることを誓ったので、この運命を素直に受け止めている。

 

私の役割なのでしょう。それでもファッションは意識しています。でないとつまらないですから。一応コーディネイトはしっかりと決めています。

リュックを背負うようになったのは都営地下鉄がとても深いので階段、エレベーターが両手が空いていないと危険なのです。

 

旅行用の鞄(今のカバンがとても事故が多い)では危険が多いので登山用のリュックにしました。電車の動きに振られるくらい重い荷物を背負っているのですが、叔母から頼まれたもの、叔母の行動に添うようにすると衣服が相当用意がいる。

 

見栄っ張りと言うのか学歴、教養、何しろ知識が豊富、並大抵では太刀打ちできない。

でも私は負けていません。叔母をギャフンと言わせます。

 

まず他人の話をまともに聞かない。直ぐに態度に出る。気に食わないと顔を逸らす。

そして「でもね!」と必ず反論する。ですから「でもね婆さん!」と命名しました。

 

私もへそ曲がりですから、理屈には理屈を、絶対にディベートでは負けない。

何で有利に展開できるかと言うと、いつも言うのですが叔母は子供を生んだことがない。

それは背負うべき人生のお荷物を背負った行き方を知らない。経験がないので幼い、青い。

 

何処か今、流行りの忖度、相手の気持ちを推し量るという心遣いに欠ける。何しろ「自分は最高!」という自負がある。自分の苦労した経験をやたらに言うが本当に苦労した人は経験として身に備わり言わない。語らない。

 

散歩などしていても、他人の批判ばかりしている。よくもこれでけ他人の批判が出来るものだと思う。

かといってお隣住むUさんは教養なない、S宗教、17年音信不通だった次男(長男は亡くなった)が突然戻っている。それには母親として盲目に尽くす。趣味はパチンコでそれをバカにする。それを軽蔑する。

でもお隣ということで過去(世話になっている)も又今後も何で世話になるか分からない。そんなことを言っても何だかんだと承知で利用され利用している。そのことで文句も言う。

 

88歳になるとそんな境地になるんでしょうか。ちょっとずるい気がしますが、私には今のところ出来ません。

 

何回か叔母のところに行くようになって、運命を感じますが、改めて行く度に新たな経験をさせてくれたのはどういった意味合いがあるのでしょうか。

 

叔母との会話を振り返ると、気がついたことがあります。

それは頻繁に叔母から放たれる言葉で気がついたことなのです。

「隣のUさんは卑しいがいざとなると不必要な人ではない」=必要

「好きじゃなくはない」=好き

「満足なんか出来るわけがない」=満足

「彼はお酒を飲まない筈がない」=飲める

「走りださずにはにはいられない」=走る

「この小説は涙なしには読めない」=涙ながらに読む

 

この言葉に近いものを叔母は多く発する。興奮して言い争っている時は分からなかったのですが、家に帰り、興奮した自分を反省していると又冷静に振り返ると矛盾を感じるようになった。

 

叔母の他人を批判したりしながらも「二重否定していますが、それは強い肯定」であることに気が付きました。

 

私でも身近に、いつも使っている言葉で。

「この提案については、、譲歩できないこともない」

「この環境では、いい文章が書けないとも限らない」

「あなたのおっしゃることは分からないでもない」

などと二重否定には肯定の意味を表す。

 

ほら、「全然大丈夫」は文法的にはおかしい、とか良く言われますよね。思うのですが若者の日本語は狂っているって?

 

二重否定を用いたは場合は意味が曖昧になったり回りくどい表現になったりしてしまうというリスクがあるため、使用する場面によっては控えた方が良いことがあると思います。

 

12日から15日までに多くを学びました。

 

ストレスで又ゴルフレッスンに行って来ました。今度、好調とか不調言う表現は言わないようにするつもりです。70パーセントの確率で理想通りのスイングが出来ました。

確率はだんだんと高くなりました。プロがコースが楽しみですねと言ってくれました。

叔母の墓参りのその後。

叔母と河瀬家の墓参りをする。

足が不自由なのでいつも介護タクシーを頼んでいるらしいが事故で廃業、女性で叔母の生け花のお弟子でタクシーの運転手の方に依頼。

 

気心の知れている方なので通しでタクシー代を請求せずに場所場所で支払い手続きをする形を取ってくれていた(銀行、墓守りに事務所、食事などで立ち寄る)

 

墓掃除までお手伝いを頂いて助かった。叔母のご主人が亡くなった時も献身的にお世話を頂いたらしい。女性でタクシーの運転手とは行動的で実によく動く。この暑いのに。SさんはS宗教の熱心な信者なので本来は他人の墓など掃除などもっての外。

 

何か事情があるのでしょうが、家族を養っているという。叔母の性格を心得ている会話、行為を実に見事に熟す。

 

まさにサービス業です。会話上でも受けても話しを逃さない、ソフトに受け入れる。そして自己主張がなく控えめ。全く叔母とは正反対。

 

私が焼肉を食べたいと言っていたので叔母が運転手Sさんも一緒に焼肉レストランに入るが、日曜日なので直ぐに席を取りに走る。(一人焼肉は勇気がいるので十数年振りである)

 

車中で待っている時「あのSさんは在日コリアンではない?」と叔母に尋ねる。

第一印象でピンと感じるものがあったので、だからといって偏見があるのではない。

 

全く言葉に訛りがある訳でもない。気遣いなど日本人より日本人の気遣いが身に付いている。叔母は驚いていた。

 

叔母に唯一打ち明けていたらしい。「よく分かったわね」と。「大陸と繋がる半島の香りがする」ニンニクではないですよ(笑) 雰囲気です。

 

中国人と朝鮮(韓国)人と日本人の顔が西欧人は見分けがつかないらしい(最近分かってきたらしい)ですが、遺伝子の構成が全く違います。

何か違和感(不快ではないが民族ですかね)を感じ集中すると体を構成する細胞集団から発信をされます。

 

今回はそれでなくても方位が悪い(私の凶方位、北、北東)叔母のところですが北東です。、今までは知的障害者の方のお世話が終わってから行っていたので、方位除けになっていた。

 

その北東へストレートに行ったので案の定、叔母と大喧嘩、私の心のしこり、育ての親である母が腹違いの弟を川嶋家の後継ぎにするための深謀遠慮を尽くし、抑えていた怒りが叔母にとっては育ての母は姉なので何かにつけてかばう。

 

その上、今回はその母からの手紙を私に見せた。私はその手紙を叔母に叩きつけ、怒りが頂点に達した。そこで帰る準備としたが叔母は必死に止めた。(叔母の悪口ばかり行っていましたが血ですね。兄弟ですね。文章には白々しい)

 

その後の会話もことごとく腹違いの妹、弟をかばう。一見平和主義で川嶋家、兄弟仲良く言うことが格好ばかり付けているのでその通りにはっきり「格好つけんな!」と。怒鳴りつけた。

 

私の母は長女、育ての母は次女、今回伺った叔母は三女、その下にも京都に娘に引き取られた叔母がいる。

 

複雑でしょう。私の母が亡くなると次女の育ての母が嫁ぐ。それは川嶋家の財産を守る為だったという。祖母が相当な親戚(分家、親戚総代との駆け引きで苦労をしたらしい)。

 

次女の育ての母も好きな人がいたのに無理やり養子である父の嫁いだ。そう言う意味では気の毒であったが、途中から先祖が築いた財産を錯覚して「私の財産」と言い切っていた。それが大きな間違い、感違いを犯した。

 

数億円という財産を銀行に騙されて何億円という借金をして、失った。

銀行の担当者が言うには貯金通帳が30センチの高さくらい預金があったそうである。恐らくは株に手を出したのでしょう。

 

お嬢様育ちでそこが甘いのでしょう。銀行から私の会社との取引をしたいということで母が紹介したのが大きな間違い。

 

「お母さんから伺っているご長男(私)とは随分印象が違いますね」と言う。

「何で?」と問うと、母は私のことは良く言わなかったのでしょう。私は銀行員は母の担当を何十年していると言うので移るの移れない関係が出来ているらしい。

 

それが私も「何かある?」と飲食で探りを入れると「出た出た!」当時は私もバブリーな生活をしていたので、銀行員も取引を大いに期待したのでしょうね。

 

ぺらぺらと喋る喋る!実の面白かったです。

 

そんな恥をこれ以上言えませんが、それで覚えたの言葉が「深謀遠慮」まさに育ての母にぴったりで言葉って面白いですね。

 

ただ「策士は策に溺れる」というのも学びました。

 

もう、亡くなりましたがその方に相応しい策士ばかりの苦しみの場所に今は居ます。苦しみ喘(あえ)いでいます。

 

現世で「どう生きたか」で来世の行き場が決まります。心のランクで天上でも地獄界でもその人の現世の生き方です。今度、あり得なかったが何故存在したのか地獄界の成り立ちをお話ししましょう。

 

母は我欲の行き方の償いを今しています。

 

 

 

 
 

 

こんな格好で3時間習志野の叔母のところへ行っています。リュックが重いんです。

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<こんな格好で叔母のところへ行きます。地下鉄の階段の上り下りでとても都営地下鉄は深いんです。それで両手を空けるためのリュックにしました。うるさい叔母なのでいろいろ想定した服や諸々持参すると荷物が多くなるんです>帰って来た時撮ったので疲れ切った顔です。

叔母の要請でお盆の墓参りに同行することになった。
それで12日日曜日に出発することにしているが、当日酷暑の中向かうことは覚悟はしていたが、就寝中雨音が聞こえたように気がした。

 

自転車が濡れるので屋根の下に置き直すことで外に様子を見る。雨が降った様子があった。

 

翌朝、叔母の所へ向かう準備と朝食、服薬、仏壇に供物とお茶を捧げ、いつもの時間の通りに動いているのだが「いや!待てよ、雨で気温が下がっているうちに出発をしようか」とフッと脳裏に浮かぶ。

 

早速、家での体の動きが活発にスピーディになり、早々に出発することに変更した。


正解でした。自転車で大きなリュックを担ぎ、その前に大家さんに留守中のことをお願いをして西馬込駅に友人宅に自転車を置かせてもらう。

早朝でもあり、雨のお陰でもあり外気温は連日の酷暑など忘れる。

 

普段から電車に乗る習慣が身についていないので、行くたびに駅での切符の購入に手間取り発券機の前で周りを気にしながらも手間取る。

 

流石にお盆休み日曜日でもあるが、いつもよりは俄然人が少ない。私は正月であろうが、GWだろうが、お盆休みだろうがそうした生活習慣がない。家族があった時以来そうしたものは忘れている。

 

こうした周りの変化でそういった季節感みたいなものを知るのである。

 

私の考えは叔母の墓参りには付き添いましたが、墓参りは一切致しません。
その理由は墓は「博物館」のようなのと思っています。遺骨がそこにあるから魂までがそこに存在するというものではありません。

 

本来の宗教というのは、実にスッキリしている。
「人が死ねば空に帰する。教祖である釈迦は墓がない。無論その十大弟子にも墓がなく、おしなべて墓という思想すらなく、墓そのものが非仏教的なのである。
仏教徒というのは世間でいう「霊魂」という思想もなく、その霊魂をまつる廟も持たず(釈迦などはない)、まして「霊魂」の崇りを怖れたり、「霊魂」の力を利用(?)したりすることなどといった思想もない。
幽霊というもの、本来の仏教には存在しない。「霊魂も怨霊も幽霊も、仏教の教義として存在しない」と言いたいところだが、残念ながら仏教には一大体系としての教義がないのである。


キリスト教イスラム教のように、預言者が言葉をもって説いた宗教(啓示宗教)なら教義が存在する。

 

私の実家は何しろ宗教的な行事やその他の日本の行事はやることに追われて、何か心がない。それで安心しているのでしょうね。私はそれに対し物凄く抵抗を感じていました。でも実家は全てではないですが、多くの家も財産も失いました。祈りとは何だったのでしょうか。

 

先祖 の墓は心の拠り所としては大きな役割があると思います。それはそれ。
私が大切にしていることは、祈る事は大切です。先祖に対して感謝を述べ、家族の一員として、食事のたびに少しでもオカズ、ご飯、お茶など家族と同じ様なものを捧げる。

 

祈りの対象は位牌でも写真でもいい、家族同然に扱う。
出かける時「行ってきます」帰ってくると「ただいま」そして手を合わせ、1日の出来事の報告をする。なんでもいいんです。

 

家族同然のように自然に接する。この世に肉体が滅んで、魂はいつも身近に家族を見守っています。

 

そんな時家族の不和、財産争いなどをして、それを見ているご先祖が天上や地上を行き来し、家族のそうした争いなどを見ていると、執着で地縛霊や何方かに憑依霊として地上に残り、その家族が不幸になって行くのです。

 

ですから、今回も墓参りをしていますと、その時(お盆)だけやって来て線香や花、墓掃除をしても私は心を感じられません。

 

それよりも毎日家族同然に接し、自然な振る舞いが大切なのだと思います。

私は事毎に(何か事が起きるたびに。いつでも、折に触れて)こう祈っています。

 

「川嶋家、先祖代々の諸霊よ、義久お爺ちゃん、ヤスばあば(祖母)、邦江母さん、和子母さん日々の御守りとお導きを心から感謝致しております。
河瀬盛重様、小泉桂史様(二人の叔母の御主人)どうぞ通子、房子叔母を守って下さい。通子叔母は私の最後の役割として看取りたいと思っています。どうぞご協力とアドバイスをお願い致します。
息子、娘(名をあげています)の家族の健康と、健やかに過ごせることをお願い申しあげます」と。

 

それから数十名の相談者、全員は無理。でその家族の名をあげて祈ります。ですから長いんです。疲れます。
でも一人一人の御姿が浮かぶと生活の様子も映像に浮かびますので喜びに変わります。

 

 

重傷です。意識混濁し周囲の状況に対する意識が低下しています。ゴルフで気分転換を図る。

私としては私自身での感覚でしかないのですが、それを「神」から「天使」のお名前を公開(初めて公言)したことで今は何も手がつかず、生きて行くためには食事が最低限の量は頂いたという状況です。

 

些か軽率でした。まさに気持ちとしては崇高なものや神聖なもの、または大切なものを、貶める、卑しめるということになったのではないかという訝(いぶか)う心境である。

 

むしろ落ち込む心はまさに放埓な人間にはおよそ語る資格はない。

日ごろこうしたことに関しては慎始敬終(しんしけいちゅう)物事を、最初から終わりを敬いつつしむ。終わりを敬いつつしむ。そんな自分を失ってしまった。

 

思っているよりも大袈裟ですが、私の信条を守れなかったことはご想像以上でした。

それは重傷です。意識混濁し周囲の状況に対する意識が低下する。しばしば傾眠を伴う。また、反射神経や呼吸・循環機能の異常も現われた。

 

身近に弟子、意外なのは大家さんが私の表情、体調の変化を察し、それぞれがその事象を察するので対応が又それぞれであった。

 

弟子(主婦=staffと言っています。他に見習いも二人いますので)は新潟、長崎から家庭を放り出した私を心配している。大家さんは大家さんで熱中症ではないかと点滴と同じ成分であると「秋田の大地の甘酒」なるものを持ってきたくれた。

 

私が梅干し嫌いなので蜂蜜入りを取り寄せてくれ、これならば何といただけるので黒ニンニクを一緒に持ってきてくれる。

 

これらの方がたには内緒ですが、リセットが必要な心境でした。身体は今一ツでしたが、気分転換にゴルフレッスンに行ってきました。

 

レッスン蒲田駅の近くなのですがいつもアゲインスト(逆風)で自転車のギア比を一番重くしているのでいつも「よっこらしょ!よいしょ!」と漕いで向かうのが又修行と思って頑張っています。

 

気心知れたプロとはレッスン中そんな心境を話しをすると「川嶋先生は僭越ですが、お歳からすると実に正直な方ですね」「うーん!」考え込んでしまいました。

 

こんな言葉が浮かんだ「不正直なほど楽なものはなく、正直ほど日常の鍛錬と勇気と自立の要るものはない」と。

 

そうだよな!ゴルフほど膂力(りょりょく)衆に勝る」とは行かないのです。ゴルフは人生を学びます。正直だけでも良くない膂力(筋肉の力、腕の力)でけではない。

 

このところ幾分かそれを悟り(悟り、スランプを繰り返しですが)テークバックを30センチストレートにというのを誤解していました。それを私はグリップを30センチ、テークバックしていました。そうするとヘッドは30センチ以上になります。

 

感覚としてはかなりアーリーコックですが、それが正しい。それに加え私の欠点はテークバック時に左手首全体が緊張から膠着してしまう。それがアーリーコックという感覚でテークバックすると右手が上手く使えるようになる。

 

実は最大の悟りは何気なくアドレスをしていたらヘッドをそっと置くと力みが抜けるという現象が。驚きと発見でした。それを体得しようとしました。実に微妙ですね。試行錯誤。明日土曜日14時予約しました。

 

ゴルフは効率と否にミスをしない。ミスの度合いを少なくする。それに尽きるのですが、最近は極端に左に行くボールが3対7でミスが3割以下に減少しています。

 

最近の国内トーナメントでヤマハ所属のプロの連戦連勝、私はヤマハ党なのです。というのはパイク、楽器、家具など総合メーカーで楽器のような繊細なものを手掛けているというのでバイクは5台乗りました。一時はホンダ一台とヤマハ三台を所有していました。

 

ですからゴルフクラブも絶対に確信を持っていました。案の定でした。でもアイアンはダンロップゼクシオです。最近分かったことはグラブはヘッドは顔のデザインの好み。

 

女性の好みと同じ、でも最も大切なのはシャフトです。私は全てカーボンですが、ダンロップのゼクシオのシャフトが何とも言えなく良いんです。

 

ヤマハは男性的でゼクシオは女性的、感触はヘッドではないですね。シャフトです。

シャフトにお金をかけるべきです。ヘッドは女性でいえばスタイル、顔だちですが、シャフトは味わいです。

 

もう71歳ですから、シャフトを全部取り換えというのは悩みますが、今頃分かるようになりました。もう遅いですよね。

 

ゴルフは人生そのもの、実に学びます。

 

ノースカロライナのK子さん!現地の地図を送ってください。東西南北を書き込んで送ります。

方位は大切です。いくらでも事例があります。そうだ!寝る枕の位置もリビングでどの方向に顔が向いているかも大切ですよ。

 

仮に方位で安全に事件事故なく過ごせればそれに越したことはないでしょう。知らないよりは知っていた方がいいでしょう。

私は実績の上で自信を持って申し上げています。

今回不本意ながらの行為は何かの啓示なのかもしれません。

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<この方がガブリエル大天使です。神に唯一直接話せる方です>この絵が好きでね。

 

今回、米国のK子さんのご協力を頂き私の本意ではないのですが、Mailを敢えて公開しました。

 

その意図は私の陰陽師としての立場としては相談者の内容については公開するというのはもってのほかタブーなことなのです。

 

しかしここ最近の傾向で心を痛めていとこと。それは余りにも母子家庭で生活に困窮し、子育てに悩まれている母親の多いことか。

 

それも福祉にまで及ぶとなると私の力以上の問題もあるのですが、相談を受ける範囲では出来るだけの対応をしています。

 

いろいろな問題を含みます。ある宗教団体に所属していれば、ある革新系の団体に所属していれば生活保護を容易に受けられるとか、都営住宅、区営住宅にはそうした団体に入っていると容易に受けられるらしいです。交渉に議員が同行するらしいですね。

 

そんな事例を最近受けることになったのですが、それも子供が精神障害で国から支援を受けたり、その為に子供を利用し、手当を受けている。ましてや上述の生活保護すら本人はその宗教団体に入っていないのに宗教の勧誘してくる方を利用し、何と「生活保護を受けたら、本当に気が楽になった。もっと早く入ればよかった」などとほざく。

 

ですからこの母親は30歳になるこの子供を絶対に手放さない。人としての成長など全くまるで念頭にない。恐ろしいことです。そこに宗教団体の絡みがあるのです。

 

そんな矛盾を聞きながらの相談です。

スタッフ(弟子)や私の後援者の方から「先生はもっと欲を出して下さい」と言われる。欲とはと問うのですが「駄目だ!先生は」と呆れている。まさにボランティアです。

 

でも、今回米国のK子さんのMail公開には私としては最大の決断なのです。良く宗教団体など成功体験を、健康食品などその効果をTVで長々と数多く宣伝していますね。

 

周りはそうしろというのです。それも必要かなと思うこのごろですが。

 

それは子供達との関係性、私の生活、行き方の違いが私を変えました。それと70歳という年齢からくる大いなる生活の変化、他人の見方を改めて、世間の割りきった考え方の恐ろしさ。

 

70歳で良くも今まで暮らしてこられたか。と感心します。

 

他人を信じすぎました。陰陽師として他人を占っているのに自分のことは分からない。まさに「陰陽師身の上知らず」が目の当たりにしています。

 

最後の勝利者はどんな生き方をしている人なのでしょうか。人生に勝利者とか敗者はないですね。

他人を占い導いている私が大いに迷っています。私の占いの基本は客観的に見ることは可能です。それは氣學という統計学それが手段。そした浮かぶ映像。

 

でも私は特別な才能とは思っていないのです。人って素直にその人を見つめると何かが浮かびませんか。じっとですよ。

 

私は如何に素直に清い心でその人を見つめるというだけが私の才能と言えます。

 

だから71歳ですが何処か純粋無垢なところがあると他人は言います。

清い心でないと見えないんですかね。それは手段としたはどうすればいいのか、良く弟子に聞かれます。

 

ただ集中力は人一倍あると最近思います。一点を見つめていると何かが浮かびます。

それは映像と表現しますが、誰にでもあることで弟子二人に良く言うのですが、私は小中学生のとき、中村天風という哲学者の方が実践していたヨガ(天風先生の経験で日本人向けに)の体験が大きな影響を及ぼしています。

 

そこでの体験の基づくことがこんにちの礎になっています。

 

それが20代~40代は全く唯物論者でしたね。神仏など全くでした。だってバブルの最盛期でその渦中の人でしたから。バブリーな生活に浸っていました。

 

でもそれは最初の奥さんの影響というか、きっかけでした。離婚したことが私のこんにちの覚醒でした。当のご本人はその才能をどのように現在自覚なさっているのか。もったいない。神はどうしてそうした運命をその人に与えたのか?

 

この最初の奥さんは天上界とのコミュニケーションの可能な人で天上の天使と異次元の方がたとの交流が出来る方でした。

 

ましてや異次元の言葉を発し、古代英語、中国語を話しことが出来、私が大天使ガブリエルの指導を受けたのもこの方のお陰なのです。

 

そのころは楽しいというよりは毎晩が異常、否、異様な経験でした。

 

彼女に天使など肉体に入り語るのです。それでキリスト、ブッタ、モーゼなどその内容は今となって思い出すたびに今生きています。その体験談は貴重で心ある方にお話しすると驚かれます。

 

その体験は機会があったらと思いますが、文章化が不可能です。

 

そうした経験は余り公開することではないでしょうが今この世の中では必要かと相談者でこの人はという方にはその体験をお話しをするようにしています。

 

そんな時期なのでしょうね。

 

恐らくそうした体験が今の私を支えているのだと思います。

 

実はゴット(神)と救世主、天使(メサイア 【Messiah】メシア 【Messiah】)との関係性を書こうとしましたが文字が打てなくなりました。不思議ですね。やってはいけない。語っていはいけないということでしょか。

 

私はキリスト教徒ではありません。実家は日蓮宗です。