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小池知事、所詮は蟷螂の斧。

私はGWの暇つぶしに山王界隈の葉脈のような道の散策であった。でも私は”道”が好きなのである。

天気も良かったこともあり、何度も空を見上げて、そんな時「無窮な天」天壌無窮=天地は永遠に続くことを悟る。

 

道はね!雲から雲えい渡って行けぬなら、せめて道から道へと彷徨うて行きたい。こんなことを考えてしまった。この世でたった一つの無窮なもの。それは道だ

その上さえ通って行けば、門や壁にぶつかる心配なしに、幾らでもズシズシ歩いて行ける。道は「永遠の蛇」だ。

 

私は壁や門とは言わないが人の家の庭に入り込んだり、行き止まりで人家の門にぶつかった。

 

今回のGWほど”道”というものを意識したことが無い。道(人生)といえばこの頃の変化。絵、デザインの仕事を老生(70歳)を意識して減らしている。占いは40年やっていますからね。固定客やら紹介やらで波はありますが忙しくしています。

 

今は都議会選挙で小池知事の正体を知りたがる人、今後の運勢、選挙予想などが実に多い。

私は小池知事が大嫌い(占いに個人的な感情移入が)。生理的に合わない。そんなことを承知で訊ねてくる。

 

私の鑑定では、暫く安定しているが、{年}では来年から極端に運気が落ちる(前任の知事と同じ運命を辿るか)。{月}では4~5月上昇期、6月~10月は安定期10月以降は極端に下降線。来年(正確には再来年、亥年、子年、丑年と11月~1月が重なると厳しいですね)

 

この知事は結婚しなくてよかった?。”女性だけが作用する。女性だけが持つと夫の家族を剋する”。

ただ!後家相、再婚の星。救われる星も持っている。それは”災厄を免れる”という運の強いものもある。

 

築地市場跡地は、日本で最も利用価値が高い土地である。銀座まで約800mしかなく、外側が晴海と勝どきで、それをすべて東京都が所有しているからだ。このエリアは東京都心に残っている最大にして最後のフロンティアであり、住宅地であれ、24時間ITタウンや金融街であれ、一体的に再開発したら莫大な価値になる。その利権争いの中心に浜渦氏がいたというのは、知る人ぞ知る話である。

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 ところが今回、その点を都議会もマスコミも追及していない。したがって、築地市場豊洲移転問題に関する石原元知事や浜渦元副知事の責任については、今後の東京都を占う都議選の争点にはなり得ないと思う。

 

再来年の10月以降、小池知事の正体は明らかになります。(というより実力)都民も分かってきます。 自民党の党籍はそのまま、ということは所詮は蟷螂の斧(力のない者が、自分の実力もかえりみずに強い者に立ち向かうことのたとえ)である。

 

小池知事が歴史に名を残すのであれば、都知事の仕事に集中した方が良い。その次の都知事選は2020年の夏。五輪開幕の約三週間前ですから、小池さんは出馬せざるを得ません。

そこで当選した場合、一年だけで知事を辞めて国政の場に戻るという訳にはいけないでしょう。

仮に都知事をニ期務めた場合、失礼ながら、小池さんは71歳、そこから国政に進出して、総理大臣を目指すとうのは確かにイメージしづらいですね。

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私の意外な一面。

私は意外な一面があります。

それは女房の親の会社を再建(大袈裟ですが)した経験から、知り合いの会社の再建を受けたことがきっかけでその後3社ほど関わりました。

 

勿論、中小零細の得意は製造業(下請け)をメーカーにしたケースが多いですね。(数人から50人ほどの会社)

それは私の経験でドルショック、オイルショックの体験で親会社からコストカットの要求を呑まなければならないという茫漠とした悲哀の中に落ちたことがあります。

 

それで親会社に翻弄されることから抜け出すにはメーカー(自分独自の製品を持つ)になることの一念でした。「一念天に通ず」といえるのでしょうか。月商に数百万の売り上げから年商4億にまで十数年かかりました。

 

そんな経験を生かした依頼が時々あるんです。

 

今回は特殊な技術を持つ製造業です。従業員は30数名ですが、依頼主はお婿さんですが、奥さんが私と親しいので良く食事をしていました。

 

厄介なのは創業者(奥さんの父上)の跋扈ですね。何だかんだと口を挟む。幸い私とは古い付き合いなので私はかなり厳しい現状把握(友人の公認会計士と協力)と私の経験値やシュミレーションにおいて、「成長」の度合いを表すための数値を指す。

 

まず経営基盤を固める為には「黒字化への直接の原因は、徹底した計数管理で、それ以上に”俺たち自身がやらなくては”という意識を全社員で共有することが大きい。

 

計数管理とは。(考えとして私が伝えるが、会計士による具体的な説明)

計数による経営管理のこと。カンや経験によって経営活動を行うのではなく、客観的な経営数字によって、科学的に行なおうとする考え方である。

 

中小零細小売業ではいまだに商店主(経営者)のカンに頼っている商売方式が多いが、環境変化に迅速に対応するためには、実態を計数的に把握するという計数管埋が重要である。

 

マーケットは成熟化、競争激化の経営環境でムダを省き、少ない経費でより利益を上げていくためにはきめの細かい数値管理がますます重要になってくる。商品管理面でも部門別管理から単品管理へ、ダラーコントロール(金額管理)からユニット・コントロール(個数管理)へと転換していかなくてはならない。

 

今までの経験からいうと経営危機の企業に外部からやって来た私のような立場は最も時間をかけずに成果を出せるのは、コストカットを徹底することでしょう。

 

実は限られた期間でそれをやりたくなるのですが、それではただのコストカッターでしかない経営者と、それ以上プラスアルファをもたらせる経営者では評価のされ方が違います。

対症療法的なのはすっきりはしますが、後に備えが脆弱です。

 

私はその会社の核(味)や個性を大事にします。

 

まあ!厄介なのは創業者である。老人の跋扈と言いましたが、これは今まで何度か立ち向かいました。

 

総括すると「どれだけ考えても良く分からないこと」について「それは鵺(ぬえ)である」は鵺である老人(創業者)は排除しなければならない。大変でしたその経験は。

 

恠鳥奴延鳥(ぬえ)は、日本伝承される妖怪あるいは物の怪である。

知識はひけらかすものではない。知識は己の愚かさを知る。

今、BACCOの地下でお肉を頂くところです。

久しぶりに本格的なお肉を頂く。牛肉が食べたくてMちゃんにLINEでオーダーをする。 このMちゃんは万事心得ているので私は彼女を頼り、任せっきり。細かい問い合わが来るも「任せる!」の一言である。

 

今後も月に1~2回程度の「お肉の日」を設けて1階は避けるようにしている。 もう!70歳の年寄りの行くところではない。 えびす家も本当はどうなのか分からないが、政治(宗教、野球)談議のお盛んな居酒屋で珍しい。

それは私も嫌いではないので積極的に参加するが、それもヨーロッパ(私はベルギーでしたが)当のクラブ(飲み屋)はホテルのバーで飲むより、談話の空気を楽しむ場所らしい。クラブ文化を同心円のものとして位置づけられている。

 

日本人(私の)の感覚からい言うと爾汝の交わりが一面、人情深いが、反面、ざっけない。ように思わるるが、私の血は大陸的で狩猟民族の方が性に合う。

 

日本人のこうした場面はどうしても言葉は道具なのでそれ自体いい悪いではない。使う人間によって良くも悪くもなる。大事なのは、使う側がどういう意図でこういう言葉を使っているかだ。

 

使う人間が、顕示目的で、即ち、「俺はこんなに知っているんだぜ!という意味を含めて使いまくれば、自然と、その言葉にはそういう「怨念」がこもって来てしまう。

 

日本ではクラブ文化は難しい。えびす家では迷惑をかけているのであろう。そういった際は早々に逃げ出そう。

 

農耕民族、島国根性は合わない。自己主張が強い私には日本は息苦しい。行きそこなった。機会を失ったポルトガルへの移住はいまだに未練が残る。本当に行きたかった既に遅い。

 

考えるに甘さの中にすっかりと浸かっていた。日本はヨーロッパのようなクラブ文化は存在し難い。えびす家という環境に甘え過ぎた。今や飢渇(きかつ)に苦しむ。

 

飢渇心理という何やら飢えと喉の渇きを覚える。

 

思い切ってポルトガルに行くか、この歳では迷う。伊勢志摩の知り合いの家(借家を貸してくれる)に移住するか今のうちである。

今度の宗教法人の公演は上述のヨーロッパのクラブ文化と日本の居酒屋文化との違いなど面白いかもしれない。

 

それには孫引きではあるが司馬遼太郎アイルランド紀行を深夜まで耽読しました。民謡ファドが好きでポルトガルへの憧れもあるが、紀行文で英国、スコットランドアイルランド北アイルランドへの興味を深めたが大好きな英国の過去の歴史から考え方も変わってしまった。

 

阿蘭陀(オランダ)、北欧もいいが棲むことと食事は南欧でしょうね。

 

これで公演(座談会)のテーマは決まった。

今晩は大変です。

相談者からの依頼で世田谷の資産家(私の重要な”お得意さん”(嫌な言い方ですが)から親戚からの呪詛(じゅそ)で体調を壊している方からの依頼で其の怨念(相続、土地、金)を取り払わなければならない。

 

日本で「呪い」というと「呪いの代行」という稼業があるという噂がある。いまだに根強い「呪い」という行為。「人を呪えば穴二つ」人を呪えば、呪った人にもその代償が返ってくるといいますが、出来れば呪われずに呪いを返したい。

 

それを指導する訳です。

除霊と違いは(共通点もあるが)心の在り方がとことん左右するので呪われた方がどうしてそうなったか、それを振り返り、呪った方への呪い返すよりも自分自身を(この方は傲慢なところを指摘それを反省することで人の”念”を受け付けない人品骨柄、人品卑しからず、風采は威厳が が出来上がるのです。

 

因みに私は除霊は避ける。一時的にその迷霊を外せるが、その方の心の在り方が修正されなければ又其の霊がとりつく。だから上述のように自己を修正しなければならない。

(特に動物霊は性質が悪い。迷霊も憑依しやすい人にとりつく)

極端ですが世田谷の方は病い膏肓(こうこう)に入る寸前でした。

 

恐いですよ!人の念(想い)は「一念、三千里を渡る」といいますからね。

GW明け、普段のペースに戻る。

今回のGWでは時間がたっぷりあったので気になっていた場所を歩いた。

銀座、浅草へはやはり行かなかった。無目的で銀座を昔懐かしいだけと海外ブランド巡りも其の価値を進んで行こうとは思えない。 浅草も結局飲み食いで費やする。懐かしい浅草時代の友人にも会いたいが、出会い(ではない)出遇いでいい。

 

出会い、出逢い、出合い、出遇い…

「出逢い」は両方から来た者が一点で逢うという意味があります。出会いと出逢うは意味は同じ。たまたまあう{えっ!」という意味なんです。

 

だからたまたま「出遇う」という字が使われるんです。ちなみに出合うはぴったりとあわさるという意味。

出遭うはふいに、ひょっとであうという意味です。漢字によって意味が変わるんですよ。

 

私自身強く感じるんだけど、生活のなかでたくさんの出遇いがあります。

その人ともう一度会える保証はどこにもありません。

 

少なくとも、今日、その場所でその人と会うのは今日一度だけです。そもそも今日という一日は、今日一度だけなんです。

それが一期一会。

 

そして、いい出遇いであれ、いやな出遇いであれ、その出遇いが私に影響を与えます。たくさんの出遇いに影響された積み重ね。今日の私、これはまぎれもない事実です。

たとえ今は会えない人との出会いも、今の私に影響をあたえています。

星空だから出遇いは永遠なんですよ。

終わりのある出遇いなんてないんです。今の私の中に生きてるんです。

そうすると場所ではなく、人でもない。

 

30数年というえびす家との付き合いも間(あいだ)に抜けた時があるが、浅草から復活してもう!6年にもなる。月、水、金、土曜日と通ったことは今更驚いてしまった。

 

そうだとするとえびす家の存在は大きい。とことん心休まるところでもある。でも神は休まる場所でありながら、けっして100%そうさせてくれない。

 

何処かに些細ではあるが、憎いくらいに諭される。微かに気遣い、気持ちに刺さる物事もあるが当たり前のように与える。それが自然なのであろう。神は巧みな配慮をする。

それを超えるものがこの店には存在する。忖度である。忖度(気遣い)も受ける側の捉え方にもある。(森友学園の問題を機に、出回りはじめたひとつの言葉がある。「忖度」籠池泰典理事長も記者会見で連発)

 

50%で良好ということであろう。それ以上最高といえるのであろう。

 

毎日、居酒屋へ行くのが「流浪」だとすれば、その居酒屋中が、漂流者だらけである。ひょっとすると、人が酒を飲みに行くというのは、仮の・時間を限っての・漂泊しに行くのかもしれない。

 

日本の居酒屋に「酒の香を慕う霊」たちが、部屋中に充満しているように思えた。汎神的な日本的霊性というべきものがあったのかもしれない。

 

居酒屋とは流浪の民の坩堝だろう。この民族の特性が”流浪”と癖と”悒愁=憂愁”という事をとらえている。

 

居酒屋といえば、えびす家へGW明で全てのリズムが総崩れし、それを補うかのように17時をちょっと過ぎた頃に飛び込むように入店する。

 

そこで刺身と堪能し、徐々にいつものペース(テンポ)に戻る。

そこにT御夫妻がいらっしゃる。奥様とは古い友人で仲良し。御主人公認でもあり、面白いのは御主人が後からいらっしゃる奥様の席を私の隣にして席を空けてある。

 

そこには整体のKさんがいる。相変らすゴルフ談議、そこへT御夫妻が加わり、話が弾み(又このT御夫妻の奥様が加わると話はユニークな世界へと発展する。御主人の黙する姿が面白い)Tさんの御主人が整体に興味を抱く。

木下さんは独特な世界を持っていられて身体から発する何かを感じ取る天賦の才能があるのでしょうね。天から与えられた才能。天資と言えるかも知れません。

 

それに興味を持たれ仕事に繋がるとよいのですが。そんな才能がありながら仕事に繋がる欲はないんです。私と似ていますが、それば人間性というものでしょうから無理をしないで良い伴侶が導く、導かれるタイプなのでしょう。

 

それが17日のお見合いとなったのですが、ご縁が繋がるといいですが。あッ!LINEが入っている。御都合で24日になりそうである。

自分の文章の野放図さが(計算のなさ)が、「意識の流れ」というものだろうか?

日曜日のボランティアではお婆ちゃんのお世話の内容でしもやけ(手)の水虫の処置を土曜日には忘れてしまった。しもやけもだいぶ良くなっている(抗生物質を使用)ほっとする!

今どき、「しもやけ」と思うでしょうがそれが出来ないのが障害なのです。今は役所は障害を「障がい」と書くそうですよ。馬鹿げてますね。国民、都民、区民の「民」は奴隷で目を針で潰してしまうそうです。じゃあ!「国みん」としなきゃ変ですよね。

 

後一日、日曜日が終わるとGW明けとなる。

早く明けてもらわまいと老生の身には些か習慣化するのが怖い。”楽”なのは直ぐに身に着く。

怠け心は直ぐに宿る。

 

働かずとも年金や占い稼業で食ってはいける。が、それではボケるのが怖い。

忙しくしているのはボケ防止、ブログを書くのもそうである(PCでは指をので)今回のGWの休みは精神も肉体も総崩れであった。

 

時間があったのでいろんなことをした、又考えることも多かった。高齢者の田舎暮らしで場所探し、カードの明細をゆっくりチェックしたり。

 

ゴルフのスイングをフォーム(クラブを持たずに)をビデオ撮りでチェック、気がついたのは余りにもハンドアップ過ぎて構えていた。自分ではハンドダウンのつもりが極端にハンドダウンしたつもりでも意外とそうでもない。そんな錯覚がゴルフではありがちである。

同時にパットの構え、これも前傾姿勢をもっと屈んでもいいのにフォームをビデオで見るとはっきりした。

 

頻繁にブログを書いていると、ハッと気がついたことがある。自分の文章の野放図さが(計算のなさ)が、「意識の流れ」というものだろうか?

 

思いつくままに思考が変化していくのが特徴的。通常の心理描写とは大きく異なるが、発想が思うままに展開していくことが私の特徴としてある。

 

私が日記や手紙を書くように書くわけです。この書き方における心理描写というのは、主に〈自分〉がどう思ったかで、〈他人〉の気持ちは推察にすぎません。そもそも起こった出来事をニュートラルに書くわけではなくて、ややいじわるな言い方をすれば、起こった出来事を〈自分〉のいいように取捨選択して、時に曲解して書くわけです。

(えびす家のマスターにもそれに近いことを言われた)

 

人間の意識は断片的な塊(かたまり)をつなぎ合わせたものではなくて、いつも切れ目なしに流れているのだから、「思考、意識、または主観的生命の流れ」と呼ぶのがいいと主張したことによる。

 

思考を劇的にまたは論理的に整理して説明するのではなく、知覚、印象、感情、記憶、連想、知的思考など、意識の働きのいっさいを、生成消滅のままに、論理的な脈絡にとらわれずに表現することだと思います。それが「意識の流れ」というのだろう。

 

この休み、休暇は自分を見つめるというのか、仕事に追われるというのがボケ防止などと言ってはいるが、自分を見つめるのも今回、他の事はともかく、これだけは落としてはならないことなどと、考える時間を与えられた。

でもね!自分を見つめることで仕事に追われていたリズムが踏みとどまって。じっくりと。ゴルフと同じだね。スイングは正面で一旦ボールをとらえないと真っ直ぐに飛びませんからね。

 

最後にこんな心境(結論)に至る。自分の長、短所見えてくるんですね。

「長所が大きくなればその裏側の短所までが美しく輝く場合が多い」

 

あんまり考え込んだのでシャンプーしても直ぐに頭がのぼせて(熱くなって)痒くなるのが早いのがいつもと違っていた。

スッと振り返ると一瞬だが目眩(めまい)がする。右足の中指あ痛む。とても気になっている(ゴルフで踏ん張るので、一時は出血したくらい、力んでいたんですね)

 

こんなことでも人生の繋がる。最近はゴルフも力まなくなった。ゴルフに関して言えばそれでも返って距離が出る。人生もそんな力まないように生きられればね。

 

隣でTVで流れている言葉など書き留めるのだが、それを時に意味なく書いてみます。

(メモ癖)

*「働いて汗を流さなければ其の有難さ(価値)が分からない

*「知識は己の愚かさを知る」

*「自分のが幸せの時は他人も幸せにしたくなるのだが、上手く行くといいね」

*「誇りよりももっと大切なもの、それは生きること」

*「正直者はこうべ(頭)に神宿る」

*「鳩が去り、カラスが来る」こんな注釈があった「無駄死、戦争による死」???

*「夜明け前はもっとも暗い」これは知っていた。

*日本人の「頂きます!」は食べ物に対する(生命あるものに)”畏敬の念”

これは皆、TVからのメモです。

善意も軋轢が生じると厄介。

一週間は早い、土・日曜日ボランティアが始まる。ちょっとGWの休みでリズムが狂ってしまった。危うく土曜日が忘れるところであった。今ならあり得る。

 

慌てて6時に覚醒し支度をすると飛び出す。玄関先で顔を突き出して私をお待ちでした。

初めてお世話の内容を示しますと、入室早々、服薬確認、口腔ケア、血圧測定(mmHg)、入浴介助、浴室の清掃、洗濯、干し、昼食の準備その他、事務的な処理、今日は冷蔵庫の清掃で賞味期限のチェックなどそれを処理したりします。

 

高齢ですと、賞味期限が過ぎた食材は危険ですので直ぐに処理します(特に胃腸が弱いので)

10年もお付き合いをしていますと、歯も悪くなって刻みと食材を柔らかめなものに加工をする。塩分も控えもに今日はインスタントの味噌汁とお吸い物を処理した。 このインスタントは塩分が多いので、丁度、後見人の方が見えていたので食材の処分を告げる。

そして私以外は介護業者が入っているので其の方々に買い物依頼、食材の処理したもの、その理由をホワイトボードに明記。

 

私は長いお付き合いなので後見人の方のご信頼を受け、差し出がましいが私が指示することが多くなってきた。最近は食事が摂れないときに用いる総合栄養剤(エンシェア)を私の判断で、食事摂取が困難な場合の栄養補給に使用されるようにしている。

 

こういうことも個人(私と)と業者との軋轢が生じます。そんな細かい悩み(障害)もあります。

 

今考えると晩節を全うするには「これからは介護だ!」と友人と会社を設立したが、訳あって資本を引き上げざるを得なくなった。ですがこの知的障害のある御老人が私を気に入ってくれて10年という月日が経ってしまったのである。

 

ボランティアと言っても当初はそうでしたが、「どうしても介護料をもらってくれ!」と一時間半の介護料2100円を頂いている。気持ちがボランティアですが、一応言い訳をしておきます。複雑ですがこうしてお世話をしているとカタルシスを得る(魂が清められる)のである。

 

恐らくは眼も悪くなって、仕事の幅も狭くなり、占いも商売が下手なのでそれで暮らしが豊かにはなるまい。弟子が「先生は人が良すぎます」と言われる。

でもこれ以上は上手く立ち回れない。今は都議選があるので相談が多いが、一般は三万円、政治家や芸能人は十万円。不動産、新築改築の相談はその扱い金額による。暦は一万円。

一番多いのが結婚相談で相性診断(これも相談内容と量による)

 

これは敢えて表示したのは難しいのは一般人。収入の格差。学生(数千円ですよ)もいますしね。性格上、この通りに貰ったことはありません。

 

弟子はしっかりと貰っていますから、大したものです。私には出来ません。

それと占っていると腹の中が見えて、それが我慢できないんです。それで斬った人もいます。(殆ど世の中って嫉妬ですね。嫉妬は怖いですよ)

 

此処で金が絡むと人間性が出ます。自分の幸せに繋がるのに値切る人、払いの悪い人。感謝のない人。感謝もなく去る人。

そんな人も快く受け入れますが。そんな人って寂しいですね。

狭い人生ですが。そうすると介護料の2100円は相当な価値がありますね。

それを言いたかったのです。

 

このGWの経験のない休みの長さはいろいろなことを考えることが出来た。

それは神が与えた慈悲であろう。有難い。

 

今日は自宅で、明日6日は又ベネディーレでステーキでも食べに行きます。

私憤ではなく、公憤を持つ人でありたい。

暫くぶりの休み、どう過ごしたらいいのか戸惑いながらも散歩したり、桜並木のベンチで新聞を読んだりした朝の時間をこなしている。

 

昨晩は流石にえびす家が休みなので、家では過ごし方がちょっと戸惑う。正直、ちょっとどころではないが。それで堪え切れず南欧レストランの「ベネディーレ」で美味しいピッツアを食べに行った。ここは本格的なイタリアの小麦粉を使っていない。本格的なのは粉っぽいのだがイタリア人はこんな粉を使っているんですね。

 

帰路、前妻にばったり出会う。その時の話は後日に(毎度、人騒がせな女性である)

 

こんな時は独り暮らしというのは、たとえて言えば、寒い中を帰宅したやもめが、自分で自分の部屋の電灯をつけ、自分の体温で室温を温め、ちゃぶ台(今は使っていないが遥か昔、そんな時もあったな)を出して飯を食うようなものである。

だから、当座は、精神の内圧と外圧とは食い違っていて、一種の金属疲労のようなものを感じた。

 

こんな時はいろいろと考える時間がたっぷりあるんです。家でこうしてブログを書いていても、桜並木で新聞を読んでいても、別な頭で一生懸命考えている。結論を出さないと散歩していい空気を吸ってもすっきりしない。

 

出ました。こんなことを導き出された判断です。

 

西ドイツの首相であったアデナウアーが、アメリカのアイゼンハウアー大統領に会った時、こんなことを言ったという。

 

第一は、「人生というものは70歳にして初めて分かるものである。だから70歳にならないうちは、本当は人生について語る資格がない」ということ。

 

第二には、「いくら年をとって老人になっても、死ぬまで何か仕事を持つことが大事だ」ということである。

 

この二つはよく言われることでもあり、又分かりやすい。

 

けれども三番目に言ったことはちょっと違う。

 

「怒りを持たなくてはいけない」というのである。

 

これはいささか奇異な感じがする。

 

怒りを持つ、腹を立てるということは、普通ははむしろ好ましくないとされている。

 

できるだけ腹をたてずに、円満に人と接し、いわば談笑のうちに事を運ぶ、それがいちばん望ましいと誰もが考えるだろう。

 

ところが、そこにはアデナウアーは“怒りを持て”という。

 

一体どういうことだろうか。

 

これは、単なる個人的な感情、いわるゆる私憤ではないと思う。

 

そうでなく、もっと高い立場に立った怒り、つまり公憤をいっているのであろう。

 

指導者たるもの、いたずらに私の感情で腹をたてるということは、もちろん好ましくない。

 

しかし指導者としての公の立場において、何が正しいかを考えた上で、これは許せないということに対しては大いなる怒りを持たなくてはいけないといっているのであろう。

 

一国の首相は首相としての怒りを持たなくてはならないし、会社の社長は社長としての怒りを持たなくては、ほんとうに力強い経営はできないといってもいい。

 

まして昨今のように、日本といわず世界といわず、難局に直面し、むずかしい問題が山積している折には、指導者はすべからく私情にかられず、公のための怒りを持って事にあたることが肝要であろう。

 

本当は第一の70歳と第二の死ぬまで何か仕事を持つということで安心したんですが、第三の「怒りを持たなくてはいけない」とても考えさせられる言葉なので載録しました。

 

私憤(個人的な事についての恨み。私事の怒り)と公憤(正義感から発する、公共のためのいきどおり)ということなんでしょうね。

 

憤とは、「なにくそ、負けてたまるか」と奮い立つことであり、私(わたくし)の怒り、つまり私憤(しふん)を持つことではない。

 

相手を痛めつけようとか、競争して勝とうと言うのではなく、自分のふがいなさを叱咤激励し、己をもう一段高いところに引き上げるための、公(おおやけ)の怒り、つまり公憤(こうふん)を言う。

 

私憤は外に向うが、公憤は自分の内に向かう。

 

世のため人のためを思いそれを憂えるなら、自らが内省し、自分が動くしかないからだ。

 

私憤ではなく、公憤を持つ人でありたい。

 

桜並木のベンチでもこんなことを考えられます。

 

私が「家にいる」とブログで知ると問い合わせが多い。弟子の二人からは勿論、暦を送った人からの「届いた!」という連絡から相談が始まる。

 

それと復活組。改めて吉方取り(吉の良いエネルギーを得る)について、その価値を離れて理解したようで、忙しくなりそうである。

 

実はこの後にとても批判的な内容の事を書いている。それを削除した。年頭に指導霊から、「あなたは今年は”言い過ぎ、やり過ぎ”」で言葉が激しく人を傷つけて「破縁」縁が切れる。その言葉を思い出した。

ハッとした!心に言い聞かせた「人それぞれだ!」というように。

 

私は気が短くてダメなんです。それによるイライラなんです。